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◎あまりにひどいコメンテーターの偏向

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◎あまりにひどいコメンテーターの偏向              杉浦正章
 日ごろから民放テレビのコメンテーターの偏向発言には辟易(へきえき)していたが、ついにそのコメンテーターが「偏向の本音」を公言した。テレビ朝日のコメンテーターが11月27日、「鳩山内閣の支持率を下げないように支えている」旨明言したのだ。放送事業は放送法に基づき政治的中立を厳しく求められており、同法違反の疑いが生じている。テレビ朝日は1993年の「椿発言」で免許停止寸前までいったが、以来基本的な報道スタンスに変化がないことを物語っている。管轄の総務省は事情を聴取すべきだ。野党自民党も国会で厳しく追及すべきであろう。
 発言は「スーパーモーニング」の中で、作家の吉永みち子が行ったものだ。「鳩山首相が審議そっちのけで衆議院本会議中に扇子に揮毫(きごう)する一幕があった」というニュースに関連して、吉永が「こういう大変な時にね、一生懸命、我々も支持率を下げないでね、辛抱して支えてるのに、何なんだよと。そういうことになってしまうんで。ささいなことのようだけど、重なるとボディーブローのようにきいてくる」と発言したのだ。 この発言を聞いて「やはりそうだったのか」と思った視聴者は多かっただろう。あまりに鳩山政権寄りの報道が目立つからだ。問題は「我々も」という発言がテレビ朝日そのものか、コメンテーター一同をさすかは別として、“組織”を意味していることは間違いない。したがって“組織”ぐるみで支持率を下げないようにしようとの了解があったことを意味しているのではないか。少なくとも暗黙の了解はあったのだろう。「辛抱して支える」の意味合いは紛れもなく「世論誘導」を行っていることに他ならない。吉永は競馬新聞記者、夕刊紙「日刊ゲンダイ」の記者などを経て小説家となっている。やはりスーパーモーニングで中川昭一急死に関して「状況を受け止める力、乗り越える力という、これ私は政治家にとって一番重要なファクターだと思うけども、この二つ共にこの親子は欠けていたのかなっていう」と述べひんしゅくを買っている。
 「支える」発言はテレビ局の放送法第三条の二の二に抵触する可能性がある。同法では「放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、政治的に公平であること、報道は事実をまげないですること」と定めてられている。椿事件では報道局長・椿貞良が、日本民間放送連盟の会合で、「今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」と働きかけた。自民党は椿を証人喚問している。当時の郵政省は放送法に違反する事実があれば電波法第76条に基づく無線局運用停止もありうることを示唆している。
 専門家ではなくコメンテーターに論評をさせるニュース報道方式は、客観性があるようで全くない。外国人、タレント、芸能人、漫画家などがいかにも国民の代表であるかのごとくに発言しているが、注意深く聞いていると一定の方向性を持っていることが分かる。ということはコメンテーターの人選をするに当たり、一定の方向性に基づいて選んでいることになる。公共の電波を使った偏向的な報道、あきらかに政治的中立を逸脱した報道がコメンテーター方式によって可能となるのである。多忙な視聴者は報道を深く考える暇はない。コメンテーターのもっともらしい発言で納得して出勤してしまうのだ。この吉永発言はそういう傾向の象徴であり、深い問題を内在している。放送を司る総務省情報通信政策局は当然事情聴取し指導すべきである。それとも民主党政権下だから手心を加えるつもりか。加えて自民党など野党は、自らの存否にかかわる問題である。国会で取り上げて民放報道の偏りを正すべきであろう。


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