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◎いくら何でも「指揮権発動せよ」はない:民主報告書

今朝のニュース解説(11日) Name:杉浦正章 
 報告書を見た小沢一郎は「ガハハ」と笑い飛ばしたというが、これが全てを物語っている。民主党が「西松事件」後に設置した「第3者委員会」なるものは、まるで「お手盛り委員会」そのものであった。その象徴的な内容が法相に捜査中止の「指揮権発動」を求めている点だ。総じて委員で民放ニュースショーにでてくる元検事のコメンテーターの検察批判を大幅に取り入れたような水準で、的外れ報告だ。党幹部は内心ほくそ笑んでいるだろうが、民主党は政権を取る前からはやくも唯我独尊の“慢心”が見られはじめた。
 報告書は、代表・鳩山由紀夫や小沢一郎の検察批判を、理論的に作文した程度と見ればよい。「いきなり逮捕するという捜査手法が適切か、自民党議員等に対する寄付の取り扱いとの間で公平を欠いているのではないか等、多くの点について疑念がある」はまさに、鳩山、小沢の主張そのものだ。一瞬わが目を疑ったのは「法相は高度の政治的配慮から指揮権を発動し、検察官の権限行使を差し止め、国民の判断に委ねる選択肢もあり得た」とある点だ。指揮権発動は吉田茂が佐藤栄作を擁護して、法相に指揮権発動させたのが戦後唯一の例だ。当時はごうごうたる世論の批判が起き、識者は「戦後民主主義の危機」と訴えたものだ。以後、指揮権発動はタブー視されて今日に至っている。政権側が国会議員の秘書逮捕のレベルの事件で、指揮権を発動したらどうなるだろうか。それこそ政治家本人が絡む重大事件では指揮権発動が恒常化することになる。この一点に絞っても報告書の荒唐無稽(むけい)さが露呈される。「識者」なる委員の“水準”が疑われる。報告書を受けて民主党は政権を取ったら、秘書の逮捕でも指揮権を発動するのだろうか。
 マスコミにも矛先が向けられ「今回の政治資金問題に関する報道のあり方には、情報源の偏り、公正さに欠ける報道内容などの問題があった。それによって、主権者たる国民による適切な判断の前提となる情報を提供するという報道機関の存在意義が、根本的に問われることになった」と断じている。それではマスコミが事件を報道しなかったらどうなるか。西松事件の背後に更に大きい“闇”をえぐり出して、警鐘を鳴らす。これが戦後民主主義の最大の基軸だ。ウオーターゲート事件の調査報道で、ニクソン政権の側が報道機関の存在意義に疑問を呈したことは寡聞にして知らない。田中角栄逮捕のときに、自民党が委員会をつくってマスコミを批判させた例も知らない。一部過剰な報道はともかく、総じて大手報道機関の報道は適切かつ正確なものであった。報道される側の立場に配慮することは、いくらマスコミといえども必要だが、報告書の言う「公平さ」という点は、秘書の起訴が報道通りであったことで決着がつく話だ。
 報告書の偏り方は、委員会が「第3者」であるという感じがしない。民主党がそのような結論を導き出す人選をしたとしか思えない。元東京地検検事・郷原信郎の民放テレビで公言している見解が報告書に強く反映されているのがポイントだ。19日には西松建設前社長の初公判が予定されており、報告書とまさに逆の展開が予想されるところだ。




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