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◎空虚なる「反日」の遠吠えー文喜相発言

◎空虚なる「反日」の遠吠えー文喜相発言
  日韓友好を大きく毀損、冷却期間が必要
 隣国の病気が再発した。空虚なる「反日遠吠え病」である。それもこともあろうに韓国国会議長・文喜相(ムン・ヒサン)が、天皇を「戦争犯罪主犯の息子」と形容して謝罪するように要求したのだ。この度しがたい発言に、国会で首相・安倍晋三が強い怒りを表明したのも当然である。この発言は、戦後初代大統領・李承晩が歴史を歪曲して、国民の「恨み」を日本に向けさせることにしたのと同様に、「病的反日」としかいいようがない。加えて戦後日韓両国が営々として築き上げてきた友好関係を土台から覆すものであり、その政治的・経済的・文化的損失は計り知れないものがある。
 米ブルームバーグのインタビューでの文喜相は、慰安婦問題に関連して日本側の謝罪について「一言あればいい。日本を代表する首相、あるいは私としては近く退位する天皇が望ましいと考えている。」と述べたものだ。それも「戦争犯罪の主犯の息子が1度おばあさんの手を握って、『本当に申し訳なかった』と一言言えばすっかり解消する」
と謝罪を要求したのだ。文喜相はこの天皇陛下を「戦争犯罪の主犯の息子」と発言をした問題について「重要な地位にある指導者の心からの謝罪を強調する流れで出た表現」と説明した。まさに練りに練った“確信犯”的な発言である。
 訪問先の米ワシントンで11日、韓国メディアに語ったもので、文は「戦犯主犯の息子」という表現を「戦時の日本国王(天皇陛下)の息子という意味だ」と述べた。その上で、「日本の責任ある指導者が元慰安婦に納得できる誠意ある謝罪を行うことが優先されねばならない」として、「日本側は数十回謝罪したと言うが、そんなことはない」と強調したという。
 一連の発言は、韓国国会議長という三権の長によるものであり、公人中の公人の発言である。この無礼極まりない発言は、歴史的な無知と偏見にあふれている。そもそも文が指摘するように昭和天皇は「戦争犯罪の主犯」なのか。日本の戦犯が裁かれたのは極東国際軍事裁判だが、言うまでもなく昭和天皇が被告席に座った事実などない。文の発言内容は、甚だしく「無知」によるものであり、知性が全く感じられない。要するに度しがたいのである。
 そもそも日韓両国は、2015年の日韓合意で慰安婦問題は、「最終的かつ不可逆的」な解決で合意している。安倍はその際、お詫びと反省の気持ちを表明している。加えて同年12月28日にソウルの外交部で行われた外相岸田文雄と韓国の外交部長官尹炳世による外相会談後の共同記者発表で「日韓間の慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と明確に表明しているのだ。おまけに、日韓請求権協定は,日本から韓国に対して,無償3億ドル,有償2億ドルの資金協力を約束、既に支払った。協定第2条では、請求権に関する問題は「完全かつ最終的に解決」されており,いかなる主張もすることはできないと定めており,これが日韓関係の基礎である。
 こうした表現は文喜相のような発言が繰り返されることを防ぐ意味合いがあった。しかし、案の定文喜相は臆面もなく無視し、知性が感じられない発言を繰り返した。文は「合意文書が数十あったところで、どうするのか。被害者の最後の許しがあるまで謝罪しろと言うことだ」「天皇陛下が謝れということだ」と感情的かつ支離滅裂な妄言を繰り返している。安倍が12日の衆議院予算委員会で「本当に驚いた。甚だしく不適切、極めて遺憾」と述べ、外務省を通じて厳重に抗議し、謝罪と撤回を要求した。これに対しても文は「なぜこのように大きな問題なるのか。さらに官房長官が出てきたと思ったら、安倍首相まで出てきた。到底理解することができない」と反発を繰り返している。
  こうした中で日韓議員連盟の会長を務める自民党の額賀福志郎が、13日午前、ソウルで韓国首相の李洛淵(イナギョン)と会談、文喜相の発言に懸念を表明すると共に、悪化している日韓関係の改善に向けて意見交換した。しかし、具体的な改善策は見いだせなかった。逆に李洛淵は日本側の言動を批判「日本の政治家や外交官が嫌韓の流れに迎合しようとして、信頼から外れた言動を繰り返している」と反発している。双方は、両国の世論が沈静化するのを待つ必要があり、6月に大阪で開かれる主要20カ国・地域首脳会議(G20)までの関係改善は難しいとの認識で一致したという。今後、両国の政治家は大衆受けの発言を慎み、冷却期間をおく必要があるのだろう。韓国内の世論も中央日報が「日本閣僚の攻撃的な謝罪要求は天皇を神聖視する日本世論を意識したためとみられるが、韓国国内の世論は『謝罪すべき側が謝罪を要求した』と反発し、両国関係はさらに冷え込む見込みだ。」と論評した。
 ◎俳談
【別離を詠む】
 「星はまたたく夜ふかく」で始まる「夜のプラットホーム」ほど哀しい別れの歌はあるまい。作詞はあまり知られていない奥野椰子夫だが、作曲は服部良一。戦時中の出征兵士を送る歌であり、淡谷のり子が吹き込んだが、再会が期待されない切迫感に満ちあふれてており、検閲で即発禁となった。確かに「君いつ帰る」などと歌われては、当時の軍部として戦意にかかわり、かなわない。東京駅のプラットホームで恋人を見送るこの歌は、3番で感情が最高潮に盛り上がる。
窓に残した あの言葉
泣かないで 泣かないで
瞼にやきつく さみしい笑顔
さよなら さよなら 君いつ帰る
 出征兵士の「さみしい笑顔」が泣かせる。戦後昭和22年に二葉あき子が歌って大ヒットしたのは言うまでもない。以来これを上回る別離の歌謡曲は出ていない。時代が作った歌謡曲の筆頭である。これにはかなわないが俳句でも別離は重要なテーマとなる。
ふり向けば母の手をふる大夕焼 杉の子
 母が夕焼を背景にシルエットになっている。我が別れの名場面である。
 幼い頃兄と訳あって離別した友人が「最後に水遊びをしたことを覚えている」と言ったので詠んだ。
兄弟のあれが別れや水遊び 朝日俳壇入選
 夜のプラットホーム型に詠めば
春宵の泣くなと言へばなほ泣いて 産経俳壇一席
 子供の草野球は夕焼小焼けで終わる。
大夕焼三角ベースの散り散りに 杉の子

       

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