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◎党員・党友票でも安倍が優勢

◎党員・党友票でも安倍が優勢
  石破「正直・公正」撤回でつまずく
 次期首相を狙う以上、安倍政治の欠陥をつき、自らの主張を鮮明にすべきだと思うが、石破の10日の発言からはそれがうかがえなかった。むしろ主張があいまいで「挑戦の限界」すら感ずる立ち会い演説会であった。肝心の改憲論にしても自衛隊条項新設の姿勢を鮮明にさせた首相・安倍晋三に対して、石破茂は参院選の合区解消など緊急性の薄い問題を取り上げ9条問題の本質に迫ることを避けた。相次ぐ災害など緊急事態を前にして、挑戦者が首相交代という“政争” ばかりにうつつを抜かせない現状を鮮明にさせた演説会であった。
 首相の座に挑戦する政治姿勢について石破は「なにものも恐れずただ国民のみを恐れて戦っていく」と意気込みを述べたが、当初の「正直・公正」をキャッチコピーとして打ち出すことには陣営内で個人攻撃に対する異論が生じ、結局採用を避けた。安倍のどこが不正直でどこが不公平なのかは指摘しにくく、もともとこのコピーには無理があり、最初からつまずいた形だ。
 安倍の「現職がいるのに総裁選に出るというのは現職にやめろと言うのと同じだ」という主張に対しても、石破からは明確な理由の説明がなかった。石破の「政治の信頼を取り戻す」と言う発言からは、意気込みばかりが先行して、具体策に欠ける姿勢が鮮明になるだけだった。石破は記者会見で「安定した政権運営は特筆すべきだ」と安倍政権をたたえたが、賞賛しながら立候補という矛盾は総裁選の歴史から見ても珍しい。
 焦点の憲法改正について、安倍は「あと3年間でチャレンジしたい」と、任期中の9条改正に意欲を表明。これに対し、石破は「丁寧に説明していかないといけない」と拙速な動きをけん制、首相との対立軸を明確にした。改憲論議は、もともと安倍が昨年5月、9条1項(戦争放棄)、2項(戦力不保持)の規定を維持して自衛隊を明記する案を提起したことから始まっている。石破は従来「9条改正が緊急性があるとは考えていない。9条改正は国民の理解を得て行うべきであり、スケジュールありきで行うべきではない」との立場である。しかし、安倍は「いよいよ憲法改正に取り組むときがきた。自衛隊が憲法違反ではないと言いきることができる憲法学者はわずか2割に過ぎない。自衛隊員が誇りを持って任務をまっとうできる環境を作るのは政治家の使命だ」と9条の改正に踏み込んでおり、石破の姿勢とは異なる。憲法改正をめぐって、安倍が意欲を示す「自衛隊の明記」について、石破は、かねてから「緊急性があるとは思わない」と指摘している。
 石破は「憲法改正は必要なもの急ぐものから取り組むべきだ」として参院選での合区の解消や、大規模災害など非常事態の際に政府に権限を集中させ、国民の権利を制限する緊急事態条項などを「喫緊の課題」とした。石破は従来から9条改正について「国民の理解を得て世に問うべきだ。理解なき改正をスケジュールありきで行うべきではない」と、その緊急性を否定している。しかし、9条改正は自民党の結党以来の党是であり、改憲する以上は9条に取り組むべきであろう。
石破が主張している「防災省」の設置についても、安倍は「防災省を作っても、自衛隊や海上保安庁、厚生労働省を動かすには総理大臣が指示しなければならない。そこをどう考えるかだ」と指摘するとともに、「スピーディに政府を糾合できるのは首相だけだ」と屋上屋を重ねることに否定的な考えを示した。
 総裁選の進展状況は、まず国会議員票で安倍が石破を圧倒的にリードしている。選挙は議員票405票と地方票405票で争われる。安倍陣営には党内7派閥中、安倍の出身である細田派など5派と竹下派の一部が参加。国会議員405人の85%は安倍支持に回るとみられている。
  一方、石破に接近しているのは参院竹下派。尾辻秀久元参院副議長が選対本部長として旗振り役を演ずる。尾辻は「武士道を真ん中に据え、正々堂々、真正面から戦おう」と宣言しているが、広がりが見られないようだ。一方石破が唯一活路を見出そうとしている地方党員・党友票についても首相が先行しているとみられている。6年前は石破を大きく下回ったが、今回は完勝を目指して安倍は47都道府県のうち7割超の地方議員と面会するなど先行している。安倍選対の事務総長を務める元経済再生担当相甘利明は10日、党員・党友票について「6年前に石破茂元幹事長が取った得票率は超えたい」と述べ、55%以上の得票率を目指す考えを示している。安倍の圧勝は動かない情勢だ。
◎俳談
【セルフィー俳句】
 米国では自分の写真を撮ることを称してセルフィーと言う。最近使われ出した言葉だ。画家もよく自画像を描くがゴッホは、まるで私小説を書くように何枚も描いている。耳を切った後の顔は天才の狂気が凝縮されてすさまじい。自分をモデルにするのは手っ取り早いし、モデルを雇うカネのない貧乏画家にとっては格好のモデルだ。写真も同様で、近ごろは自分の表情を見ながら撮れるから便利だ。一方で俳句も材料に困ったら自分を観察して作ってみるのもよい。細見綾子は
きさらぎが眉のあたりに来る如し 
と詠んだ。鏡の前で化粧をしながら、きさらぎを感じたのであろう。それも「眉のあたり」とは言い得て妙。岡本差知子は
頓服の首反らすとき紫木蓮
と詠んだが、これは鏡を見ていない。庭の紫木蓮に目が行ったのだ。病気の治癒(ちゆ)を暗喩(あんゆ)で示している。対象は何も鏡の自分だけではない。差知子は
子に呼ばれゐつつ夕べの葱を切る
と詠んだ。夕飯の支度で猫の手も借りたいが、また子が「お母さん」と呼んでいる。背景には幸福な自分の姿が映る。
芭蕉には 
酔うて寝ん撫子(なでしこ)咲ける石の上
がある。時には李白、杜甫のごとく深酒をして撫子が涼しげに咲く庭で寝転ぼうというのだ。
夜長に退屈で鏡を見た。
ぬぬぬぬと写楽顔する夜長かな
自分で言うのも何だが結構いい男だ。
毎日が自由の刑や懐手 日経入選
自由もありすぎると刑罰を食らったような感じになる。

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