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◎俳談

◎俳談
【季語はつけたりでは駄目】
例えば
縄跳びのひらりと着地今朝の冬
という俳句があったとしよう。新聞選者は100%採らないだろう。なぜなら季語が動くからだ。季語が動くということはどういうことかと言えば、今朝の冬でなくても、今朝の夏でもいいからだ。今朝の冬に必然性がないのだ。季語などどうでもいい俳句であるからだ。
 俳句の場合はこう考えた方がいい。すべては「季語様」のためにあるのだと。例えば
山茶花の白の浮き出る薄暮かな 毎日俳壇入選
山茶花という冬の季語のために中七も下五も下部(しもべ)となって働いているのだ。白の浮き出ると形容し、薄暮という白花の一番美しい環境を演出している。
 このように俳句は季語そのものを活かすために作るくらいに考えた方がよい。
スリッパに妻の体温日脚伸ぶ 毎日俳壇入選
掲句も冬至を過ぎればだんだん日脚が伸びることを、スリッパに残った妻の体温で言い表している。季語あっての俳句なのだ。

◎小姑、魑魅魍魎が永田町を跋扈

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◎小姑、魑魅魍魎が永田町を跋扈
  「いいね」で証人喚問とは恐れ入る
 『共産党宣言』の有名な冒頭の一節は「ヨーロッパに幽霊が出る- 共産主義という幽霊である。」だが、さしずめ永田町でうごめいているのは、魑魅魍魎だろう。政権のあらを探して食らう魑魅魍魎だ。しかし今のところ本格的な魑魅魍魎は出てきておらず、二線級ばかりだ。この二線級魑魅魍魎は、首相・安倍晋三の足を引っ張ろうとしているが、決め手に欠けて空理空論ばかりだ。魑魅魍魎の筆頭に立憲民主党幹部の辻元清美をまず挙げる。辻元はなんと安倍昭恵の「いいね」に噛みついた。昭恵のフェイスブックに掲載された「野党のバカげた質問」などの投稿に、昭恵が「いいね!」ボタンが押したことについて、辻元は14日、「もう感覚が理解できない。なぜ『いいね!』を押したかも証人喚問に来ていただいて、お聞きしたい」だそうだ。「いいね」を押したら証人喚問とは恐れ入った。昭恵の「いいね」は多くの人が共感を持つものであり、憲法に保障された表現の自由の最たるものである。「いいね」で証人喚問という発想は、戦前の軍部の発想に似ていて、女のくせに強権的で鼻持ちがならない特権意識を感じる。審議拒否で1日3億円もの国費を無駄遣いしてきた野党こそ、とっとと出て来るべきだった。
 これまた魑魅魍魎の筆頭が元首相小泉純一郎。安倍といえば自分の内閣を支えた中心人物の一人であるにもかかわらず、引っ張れるだけ足を引っ張っている。文書改竄当時に財務省理財局長だった佐川宣寿の国税庁長官起用に関し「国税庁長官になって記者会見を一度もしていない。ひどいなあと思っていた」と述べた。その上で「安倍首相も麻生氏も長官への起用を適材適所と言い切った。これにはあきれたね。判断力がおかしくなったのではないか。どうしてああゆう答弁ができるのか不思議だ」と発言したのだ。この発言は後講釈もいいところだ。起用時には誰一人として佐川が改竄するとは予測をしていない時点の人事であり、分かっていれば起用するわけがない。大体首相がごみ人事に口を突っ込むわけがない。小泉純一郎はどうも狭量な小姑根性が鼻につく。小姑が嫁いびりするたとえに「小姑一人は鬼千匹に向かう」がある。たった1人でも鬼千匹に値するほど、めんどうで扱いにくい存在を指すが、首相まで務めた者が狭量の極みである。
 なんと自民党総務のくせして組織のトップである安倍の足を引っ張る発言を繰り返しているのが村上誠一郎。かつて竹下登がリクルート問題などで政局混乱の責任を取って予算案の衆院通過時に退陣表明したことに言及して「そろそろ大所高所の判断をすべき時期に来ているのではないか」と露骨に退陣を要求した。大男総身に知恵が回りかねとはいわないが、これが自民党議員の発言とは恐れ入る。週刊誌レベルの情報を元に発言しているように見えて浅薄さは極まりない。安倍が国会答弁で「書き換え前の文書を見ても私や妻が関わっていない事は明らかだ。」と述べている通り、この事件に「首相の犯罪」の側面はゼロだ。書き換えは国会対応を担当する理財局の一部の職員が行ったものであり、そもそも首相が大臣や次官を差し置いて職員に直接命令を下すなどということがあるわけがない。民放の馬鹿番組ばかりを見ているからこういう発想が出る。事件の本質はごますり官僚が自らの出世を意識して、“忖度” したところにあり、責任は間の抜けた忖度をした方にあるのだ。いずれの砲弾も“本丸”にとどくまえにお堀に落ちて、鯉をあきれさせているだけだ。



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