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◎北の“非核化”にある「疑似餌」の側面

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◎北の“非核化”にある「疑似餌」の側面
 “核カード”は北の遺伝子
 日本「置き去り」の指摘は荒唐無稽
 金正恩の中国電撃訪問は、すべて5月に予定されるトランプとの米朝首脳会談対策に集約される。世界の孤児のまま対米会談に臨むことのリスクをやっと気がついたのだ。逆に中国にしてみれば、極東における“蚊帳の外”の状況を改善するメリットがある。金正恩は「後ろ盾」、中国は「存在感回復」を獲得することになった。双方にメリットがある会談だったし、中国が影響力を取り戻したことは事実だ。これにより冷え込んでいた中朝関係は一気に改善し、“死に体”であった中朝の血の同盟である中朝友好協力相互援助条約は再び息を吹き返しつつある。ただし非核化と言っても様々だ。過去2度あった北の“疑似餌”に3度ひっかかる馬鹿はいない。
 中朝の首脳会談では、朝鮮半島の非核化については大まかなスケジュールや考え方を確認したものとみられる。しかし、単に「非核化」といっても、日米と中国のスタンスは大きく異なる。日米は核の即時全面的放棄を求めるが、中国は時間をかけて解決しようとする立場だ。金自身の発言を分析しても怪しげな空気を感ずる。北朝鮮は日米の求める非核化対応をよしとしているようには見えない。
 非核化に対する金正恩の発言は「我が国の善意に応え、平和実現のため段階的かつ同時に措置を講ずれば、朝鮮半島の非核化の問題は解決することが出来るだろう」というものだ。この「段階的かつ同時に」の表現がくせ者なのだ。それは段階的手順を追ってということであり、手放しでの非核化ではさらさらない。非核化と言えば北朝鮮が一方的に核を放棄するような印象を受けるが、これまで北が主張してきたことは「米国の行動あっての行動」なのであり、米軍の核が朝鮮半島に存在すれば成り立たない論理なのである。これは核兵器の「即時放棄」を唱える日米の要求ではなく、「時間をかけて解決」という中国の方針に添って金正恩が球を投げたと受け止めることも可能だ。
 北朝鮮はきょう南北閣僚級会談、来月には南北首脳会談、5月には米朝首脳会談を控えているが、電撃訪問は金正恩が米朝首脳会談の“失敗”を極度に恐れている可能性があることも露呈した。トランプは「米朝会談は楽しみだが、残念ながら最大限の制裁と圧力は何があっても維持されなければならない」と述べるとともに、米朝協議がうまくいかなかった場合について「アメリカは全ての選択肢がテーブルの上にある」とどう喝しているのだ。金正恩は常にリビヤのカダフィー暗殺未遂事件が脳裏をよぎっているといわれている。アメリカは1986年にカダフィーの居宅を狙って空爆する強硬手段を取り、暗殺しようとした。カダフィーは外出しており危うく難を逃れた。この恐怖が金訪中の原動力となっているといってもよい。
 トランプの言うように米朝首脳会談が破綻すれば、米国による軍事行動の可能性が一気に高まる。米国を“けん制”するにも孤立状態では手も足も出ない。そこで金正恩は習近平に泣きついて、関係を改善し“後ろ盾”の存在を誇示する必要に駆られたのだ。中国を通じて米国の軍事行動をけん制してもらうしか方策は無いのだ。中国は朝鮮戦争の休戦協定の当事者でもあり、金正恩は米朝関係改善が出来なければ中国にすがりつくしか生きる道はないと考えたに違いない。
 中国にしてみれば、極東における日米韓の軍事協力の可能性をひしひしと感じているのであり、朝鮮半島の非核化や平和の定着などを進めるためにも、北の独走を防ぐ必要がある。そのための電撃訪問の受け入れであるが、これは父親の総書記金正日訪中と酷似している。1992年の中韓国交正常化により、中朝関係は極度に悪化したが、今回同様に、金正日は2000年5月29日の電撃訪中で世界をあっと言わせた。金日成が死去してから初の外国訪問であった。韓国大統領金大中との首脳会談を直前に控えていたことまで日程を模写したかのようにそっくりだ。また北がロシアと連携をする場合もあり得る。北がロシアと結べば、極東に中露北と日米韓の対峙の構図が出来る可能性がある。ロシアは欧米から総スカンを受けており、極東に突破口を求める可能性が大きい。
 問題は北の非核化のプロパガンダを真に受けて、国際社会が性急な対応をすることだ。非核化と言っても即時全面放棄を北がするわけがないからだ。世界は核問題で金日成にだまされ、金正日にだまされてきた。金日成は1980年代から核開発に着手したとみられる。1994年の金日成死後に権力の座を継いだ金正日は、「先軍政治」を掲げて核開発に専念した。北の政権は経済的に困窮すると“核カード”を切り、援助を達成するのが“遺伝子”に組み込まれているかのようである。紛れもなく金正恩も“遺伝子”の指図で動いている。従って、北の核放棄の意図はうさんくさいのだ。実質的な進展もないうちは「北の病気がまた始まった」くらいの対処が適切だ。日本政府の置き去りを指摘する浅薄な新聞もあるが、ここは慌てる必要はない。公明党の議員から参院予算委で「国民は日本だけ置いていかれると懸念している」との指摘があったが、国民とは誰だ。素人の見方であり、慌てる乞食はもらいが少ない。誰も日本を置いていこうなどとは思っていない。中国からも米国からもパイプを通じて連絡は来ている。北が厳しい経済事情を背景に、やがては日本にすり寄ることは目に見えている。ここは、北の非核化の本質をじっくり見極めてから対応しても遅くはない。

◎俳談
【忌日の句】
 著名人やとりわけ俳人、歌人などの忌日に、その故人を偲ぶ俳句を忌日の句という。西行忌、芭蕉忌、一茶忌、子規忌、漱石忌などが有名だ。忌日を詠むこつは何気ない日常を詠むことである。故人にゆかりの強いことを詠むと、即(つ)きすぎとなりやすい。せいぜい故人とは“かする”ていどの関係が良い。
浅酌をして大石忌過ごしけり 日経俳壇2席
大石内蔵助の切腹した2月4日を詠んだ。大石と全く関係のない私事を詠んでいるが、かすかに「酌」が“かする”程度である。大石は幕府の目をごまかすために京都で茶屋遊びにうつつを抜かしたといわれるが、掲句を深読みすれば茶屋での「酌」がイメージされるのだ。触れてもこれくらいにすませると嫌みにならない。
同様に陰暦11月19日の一茶忌は
雪降れば馬の目濡らす一茶の忌 毎日俳壇入選
と詠んだ。当たり前の自然現象であるが、一茶に「馬」の俳句が多いことから、これもさりげなく「馬」を入れた。
鴎外の墓にも花を桜桃忌 毎日俳壇入選
太宰治の6月19日の忌である桜桃忌を詠んだが、太宰の墓の前には森鴎外の墓もある。森鴎外を尊敬してやまなかった太宰治は、生前三鷹の禅林寺にある鴎外の墓について、「ここの墓所は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小奇麗な墓所の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかもしれない」と書いている。
その意を汲んで、美智子夫人が太宰をこの寺の鴎外の墓の側に葬ったものだ。
太平洋戦争の敗戦を記念した忌日もある。沖縄忌と原爆忌だ。
捻子まけば動くヒコーキ沖縄忌 毎日俳壇入選
6月23日。太平洋戦争の終わりの頃、沖縄は日米の最後の決戦地になり、多くの民間人が犠牲になった。沖縄の日本軍が壊滅したこの日を、沖縄忌という。
原爆忌は広島、長崎に原爆が落ちた忌日だ。
真夜中の北斗のひかり原爆忌 杉の子

安倍政権“イメージダウン作戦”は失速

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◎安倍政権“イメージダウン作戦”は失速
  森友問題は「幕引き」をはかれ
 空振りの反安倍報道
  事前の騒ぎばかりが大きくて、実際の結果が小さいことを大山鳴動ネズミ一匹というが、証人喚問はそのネズミすら出なかった。パフォーマンス野党の面目躍如というところか。加えて朝日、TBS、テレ朝の三大反安倍報道機関も、煽りに煽ったが見事空振りとなった。前国税庁長官佐川宣寿への喚問は、これを機会に安倍政権を退陣に追い込もうとする野党の思惑がことごとく外れた。改竄(かいざん)の解明が進まない原因は、野党や一部マスコミが無理矢理安倍官邸に改竄問題を直結させようと狙ったところにあり、それが挫折したということだ。
 共産党の小池晃書記局長は「証人喚問の意味がない。これ以上聞いても意味がない」と声を荒らげたが、もともと意味のないものを、1日3億円という膨大な国費を使って国会で取り上げることの愚かさをかみしめるべきではないか。「意味がない」ことが分かっていながら喚問して人目を引く演技をするパフォーマンス自体が「意味がない」のだ。そもそも立憲民主、希望、民進など6野党の議員はわざわざ大阪拘置所に出向き、詐欺罪で拘置中の「森友学園」の前理事長、籠池泰典被告と接見、さも隠し球を入手したかのようなそぶりを見せた。しかし、質疑を見れば新味のある発言を聴取できなかっただけでなく、蟻の一穴も開けられない体たらくであったことが分かる。刑事被告人とタッグを組む野党という“負のイメージ”が、これまたばかな民放テレビで度々流布され、パフォーマンスしか行えない野党を露呈した。
 筆者が予言したとおり、前国税庁長官佐川宣寿は野党の追及に「刑事訴追の恐れのある話であるのでコメントを差し控える」との答弁に終始した。トップバッター自民党の丸川珠代の質疑応答で全てを語り、以後のの質疑はその繰り返しでしかなかった。佐川は丸川に、首相・安倍晋三や昭恵夫人、今井秘書官らの関与については「一切ない」と明確に否定した。さらに国有地の売却について安倍や昭恵の影響があったかどうかも「全くない」と全面否定した。「守りの決意」が相当のものであることを伺わせた。逆に「問題は理財局の中で対応した」とあくまで理財局トップとして責任を負う姿勢を鮮明にさせた。安倍は昨年2月から、森友学園への国有地売却に自らや昭恵夫人が関わっていた場合、「政治家として責任を取る」と国会で答弁してきたが、佐川の答弁は関わっていないことを裏付けるものだ。議院証言法に基づく答弁は、虚偽の答弁をすれば偽証罪に問われるものであり、佐川にしても“命がけ”の側面がある。それにしても佐川は何も証言らしい証言をしなかったが、安倍らが関係していないことだけは、ちゃっかりと答えた。その“度胸”は相当なものである。丸川と佐川の質疑応答は実にスムーズであり、“出来レース”をうかがわせるほどで、野党も質問したが、否定された。闇の中だ。
 勢い込んで質問に立った立憲民主党の福山哲郎は成果ゼロの結果について「前から過剰期待はしないでくださいと言ってきた」と言い訳をしたが、後悔先に立たずとはまさにこのことであろう。人権上限界のある証人喚問で突破口を開こうとする野党戦略は稚拙で当初から無理があったのだ。
 野党はさらに昭恵を始め、夫人付職員谷査恵子、前理財局長迫田英典らの喚問などを要求しているが、悪乗りもいいかげんにした方がよい。昭恵が国有地の取引に直接関与していないことは明白であり、関与した証拠もない。真相は解明されたのであり、野党は改竄の核心には迫れなかったのだ。つまらぬ偽疑惑で政権の足を引っ張るときではない。安倍政権イメージダウン作戦は失敗したのだ。
 改竄問題は財務省内の調査や大阪地検に委ねるべきであり、佐川が「当時の担当局長として責任はひとえに私にある」と明白に発言している以上、財務相麻生太郎の辞任問題も遠のいた。自民党内は反安倍勢力萌芽の気配はあるが、石破茂や村上誠一郎、小泉進次郎の反安倍3羽ガラスでは力量不足で政権を揺さぶるところまで仕掛けを出来まい。折から北東アジア情勢は風雲急を告げており、安倍を外交に専念させた方がよほど国益に資することは言うまでもない。もう森友問題は「幕引き」をはかるべきだ。

◎俳談
【幻想の句】
山姥の出刃となりたる二日月 東京俳壇入選
時には夢幻の世界を逍遙するもよい。心を俗世間の外に遊ばせるのだ。現実にはあり得ない世界に読者を感性を持って誘うのである。掲句は二日月を見て山姥の世界に遊んだものだ。幻想の句で大切なのは勝手な幻想を並べないことだ。読者の共感を呼ぶ範囲内で幻想の世界に導かなければならない。
春昼の折り鶴崩れ初めたる  産経俳壇入選
棚に飾った折り鶴が突然崩れ始めたような感覚に陥った。現実には折り目正しく折られたままであり、崩れてはいないが、異次元の世界をふと感じたのだ。
十六夜の天空からの高笑ひ  東京俳壇特選
十六夜の月を見ていたら、こんな時鬼が高笑いをしそうだと思ったのである。それをそのまま高笑いしたことにして一句に仕立てた。
幻想句で有名なものは
この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉  三橋鷹女
だろう。作者は燃え上がるような紅葉に囲まれ、夕焼けにでもなったなら木に登って鬼女の如く振る舞ったらどんなに精神が解放されるだろうと思ったに違いない。願望と幻想が入り混ざった名句である。

◎それでも安倍3選しか選択肢はないー自民

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◎それでも安倍3選しか選択肢はないー自民
 野党は“魔女狩り”で展望は開けぬ
  焦点極東外交に移行
 まさに国会で魔女狩りが始まったかのようである。野党が、希代の詐欺師籠池泰典に勝手に名前を使われた被害者で首相夫人の安倍昭恵や首相秘書官今井尚哉を国会の証人喚問に引き出そうとしているのだ。26日も民進党の増子輝彦は昭恵の証人喚問を要求した。しかし、首相夫人といえども民間人だ。民間人の証人喚問は過去にもあったが、事は人権問題が絡む。極めて慎重でなければなるまい。今の野党のやり口は、ことごとく安倍を敵視する朝日新聞やTBS、テレビ朝日などと“呼応”するかのように、ことを「政治ショー」化して、政権を揺さぶることを狙っている。しかし、25日の自民党大会は政局のにおいすらせず、安倍はかすり傷もなく乗りきった。自民党の良識が作用したのだ。前国税庁長官佐川宣寿の証人喚問が今日27日に終わり、予算は28日に成立して、政治の舞台は外交へと移行する。
 安倍は佐川喚問に関して26日「地検の捜査にも協力しながら、政府として徹底した調査を急がせたい。政府と国会、それぞれの立場で、しっかりと全容を解明し、うみを出し切ることが重要だ」と述べ、全容の解明に全力を尽くす考えを示した。言うまでもなく自らの関与は否定しているし、財務相麻生太郎自身も否定している。一方、野党がずる賢いのは森友学園への国有地の払い下げの問題が、壁に突き当たって追及しきれなくなったことから、新たな追及材料として証人喚問の連発という“魔女狩り”を行い、火あぶりの場をつくってマスコミうけしたいという魂胆があることだ。籠池に勝手に名前を使われただけの民間人昭恵を証人喚問の場に引き出し、魔女裁判のごとくに質問漬けにする。国会における証人喚問の場は司法不在であり、弁護士を雇うことも裁判官の判決を求めることも出来ない。
 追及する野党議員は免責特権が与えられており、何を発言しようが自由だ。引き出される一般民間人にとってはまさに地獄の責め苦を負わなければならない。このような“禁じ手”の場に昭恵を招致しなければならない理由などゼロだ。そもそも野党議員は、圧倒的多数を持つ自民党が、野党議員の家族を証人喚問の場に引き出すケースを想像したことがあるか。強権国家ならあり得ることだが、幸いにも日本の民主主義は完全に定着しており、そのような事は起こり得ない。要するに野党の要求は無理筋であり、一部マスコミにこびを売るものでしかない。野党は無理強いすれば、やがては自らに跳ね返る危険を考えているのか。
 こうした問題の根幹となっている改憲問題の展開を予想すれば、まず大きな流れとしては9月の総裁選で安倍が3選されるかどうかにある。この見通しが立たなければ、改憲の見通しも立たない。朝日は「総裁3選への道筋を付けない限り、改憲の年内発議を目指せる状況ではなくなった」と早くも、年内の発議困難という方向を打ち出している。しかし、この記事は政局判断に必要な要素を全て計算に入れないご都合主義であり、まるで「始めに見出しありき」の独断と偏見に満ちている。
 改憲の手続きはまず、国会議員衆議院100人以上、参議院50人以上の賛成により憲法改正案の原案が発議される。衆参各議院においてそれぞれ憲法審査会で審査されたのちに、本会議に付される。両院はそれぞれの本会議で3分の2以上の賛成で可決して憲法改正の発議を行うことができる。これに伴う国民投票は、憲法改正の発議をした日から起算して60日以後180日以内に行われ、過半数で改憲が決まる。
 自民党のスケジュールとしては来年度予算が成立する月末以降に改憲の条文案を国会に提示して各党協議に入る。首相3選を前提にして遅くとも来年19年の早い段階での発議こぎ着けるのだ。というのは、来年前半は春の統一地方選挙に続いて、天皇退位、G20サミットと重要日程がひしめいており、後半は2020年オリンピック対応で忙殺される。今年暮れから来年早々までの発議しかないのだ。
 問題は前提となる首相3選があるかだが、まず3選の流れは動かないだろう。野党やばか丸出しのテレビのトークショーのレベルならば、まるで安倍退陣前夜の様相だが、いずれも問題の根底を見ていない。根底とは自民党内の安倍支持勢力だ。これまでのところ国会議員票405のうち安倍支持御三家の細田派94人、麻生派59人、二階派44人に官房長官菅義偉の影響が強い無派閥を加えれば過半数を超える。これが現在のところ安定している。党大会でも微動だにしなかった。この流れを見れば、自民党内は反旗を翻して4年近く冷や飯を食うことをためらう議員や地方党員が増えるだろう。元幹事長石破茂はまず必ず立候補するが、自派議員は20人で、地方票を頼みにするしかなく、神風が吹かない限り安倍には勝てまい。「出る事に意義がある」と言うしかない。側近らが物欲しげな岸田も47人では、勝負にならない。安倍が倒れない限りは無理だ。
 キーポイントは佐川喚問で新証言が出るかどうかだが、佐川は大阪地検が捜査中であることを理由に証言を差し控えるものとみられる。改竄に自らが関与した証言を朝日や野党は期待しているが、佐川が理財局長に就任したのは、国有地売却決済の後だ。それでも佐川改竄説はくすぶっており、一部メディアは佐川が何を言ってもあげつらう事は目に見えており、今後に尾を引く問題としては残る。今後大阪地検の捜査で逮捕者が出れば再び大騒ぎになるが、近畿財務局職員らに絞られる公算が大きく、政権直撃的事態にはなるまい。
◎俳談
【そんなことあるかい句】
 「そんなことあるはずがない」といいたくなる季語が二つある。春の季語の「亀鳴く」と秋の季語の「蚯蚓(みみず)鳴く」だ。筆者もこれらの季語は気にも留めなかったが、心の片隅にはあった。それがある春の日の午後、こんな日和の日は大阪四天王寺の亀が鳴いているのではないかと思って、自然に一句出来た。
この昼は四天王寺の亀鳴けり 毎日俳壇2席
大阪勤務のころアパートから隣の四天王寺がよく見えた。池には亀がいっぱいいて長閑な風景を醸していた。この一句で俳人には、一般人の聞こえぬ亀の鳴く声が聞こえるのだと思ったものだ。実際には亀が鳴くことはなく、情緒的な季語である。藤原為家の「川越のをちの田中の夕闇に何ぞと聞けば亀のなくなり」の歌が発端で、古くから季語として定着している。
桂信子が
亀鳴くを聞きたくて長生きをせり
と詠んでいるが、聞こえた筆者は早熟だろうか?
蚯蚓鳴くもそうだ。秋の夜、道ばたの土中からジーと鳴く声が聞こえてくることがある。実はケラの鳴く声であるが、昔の人はそれを蚯蚓が鳴いているものと信じていた。そして蚯蚓には発音器がないので鳴かないが、蚯蚓が鳴くと感じる感性が、だんだん俳人の心に育つのだ。そして秋の夜のしみじみとした情緒にであうと、「蚯蚓鳴く」で一句を詠みたくなってしまうのだ。
蚯蚓鳴く六波羅蜜寺しんのやみ 川端茅舎
平家の六波羅探題のあとに出来たのが六波羅蜜寺である。その「真の闇」を語るのに茅舎は蚯蚓の鳴き声を“増幅”させた。闇の深さが一層伝わってくる。
 
  

◎政局大胆予想、6対4で安倍逃げ切り

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◎政局大胆予想、6対4で安倍逃げ切り
 自民に政局化の潮流なし
 “財務省”問題で審議会設置を        
 新聞は「首相の連続3選が確実視されてきた秋の自民党総裁選にも、暗雲が漂い始めた。」(読売)のだそうだが、果たしてそうか。民放のノーテンキなトークショーはともかくとして、大新聞が書くとそうなってしまうから怖い。しかし、小生の見たところ、6対4で首相・安倍晋三が逃げ切る。なぜなら政局化は虚弱野党がいくら狙っても導火線になり得なくて、自民党内の力関係によって発生するからだ。いまのところ自民党内は、前回書いたように魑魅魍魎しか露骨な動きを見せる者はいない。証人喚問も佐川が破れかぶれの“舌禍路線”に転ずれば別だが、その気配はない。もう国会は佐川喚問を最後に不毛の論議の区切りを付けるべき時だ。
 証人喚問は27日になるが、それに先だって自民党大会が25日に開かれる。安倍は党大会で9条改正案など改憲問題を前面に据えて意見集約を進める。総裁演説についても改憲への思いを述べ、全党員の結束と団結をよびかける。いまのところ党大会で、政権を揺さぶるような不穏な空気が組織的に生ずる動きはなく、せいぜい一部出席者の不満げな発言を民放テレビが掘り出して、大袈裟に報道する程度にとどまりそうだ。執行部は党員に発言に気をつけるよう注意喚起すべきだ。公平中立な報道を逸脱する傾向が強い民放にも法的措置を取る必要があるかも知れない。
 一方、政府・与党は前理財局長佐川宣寿の証人喚問を受け入れた。渋る首相官邸を自民党が押し切った形だ。官邸は当初、参考人招致でしのぐべきだと喚問に慎重だった。しかし、虚偽の証言をすれば偽証罪に問われる喚問に応ぜざるを得ないと与党が判断したのは、改ざんへの厳しい世論を無視できなかったためだ。加えて幹事長二階俊博は、ドスが利くのは見かけばかり。その実は小心で、けんかの仕方を知らない。最初から妥協しか考えないから、始末に悪い。
 しかし、喚問も一見佐川が人身御供になるかのように見えるが、過去の例から見ても参考人招致より喚問の方が切り抜けやすいのが実情だ。過去の証人喚問はロッキード事件、リクルート事件、東京佐川急便事件などが有名だ。筆者はロッキード事件の喚問を取材したが、証人が「記憶にございません」作戦を展開、野党は歯が立たなかった。今回のように旧大蔵省が舞台となった事件では、98年の「接待汚職」がある。東京地検は、金融機関への検査情報を事前に得ようとする大手銀行・証券会社から過剰な接待を受けた収賄容疑で、同省や日銀などの職員を相次ぎ逮捕、起訴した。同省だけでも112人に停職、減給などの処分が下った。組織が財務省と金融監督庁に分割される原因となった。
 佐川の場合は汚職の嫌疑があるわけではなく、過去の喚問事件と比べてスケールは格段に小さい。書き換え問題は大阪地検が捜査中である。したがって「捜査中の案件については発言を控える」の答弁で切り抜けるしかあるまい。また刑事訴追の恐れのある場合は証言を拒否できる。佐川は事務次官の質問に対してすら、刑事訴追を理由に回答を避けた。野党が狙う政権直撃材料は出ない可能性が高い。証人喚問は厳しいようで攻撃する側は壁が高いのである。
 野党内には「佐川氏が捜査を理由に答えなければ世論は納得しない」とけん制する声があるが、爆弾発言を期待しても経緯から言って無理だ。政府・与党は、極東情勢が厳しい局面にさしかかっているときに、つまらぬ泥濘(ぬかるみ)に足を取られているときではあるまい。昭恵夫人の喚問を狙う共産党の国対委員長穀田恵二は与党の喚問拒否について「国民の批判はずっと続く」と述べているが、総選挙で9議席減らして12議席になった政党が「国民を代表」して偉そうに発言してもらっても困る。
 そもそも安倍政権は特定秘密保護法や安保法制でいったんは30%台に支持率が落ちたが、その都度回復させてきた。だいいち支持率なるものが朝日や毎日など反安倍メディアと読売・産経など安倍支持メディアで違うのはなぜか。質問者が悪意を持って聞くのが朝日、毎日であるからだ。与党内には「監督する立場の麻生氏の政治責任は避けられない」との声もあり、これで幕引きとなるかは不透明な側面がある。安倍は問題を調査する審議会を民間人を入れて作り、答申を得て財務省改革に着手することも検討してはどうか。その上で、外交問題が一段落したあと夏にも、内閣改造を断行して麻生を副総理から外して党幹部にでも据えた方がよい。総裁3選態勢を整えるべきだ。
◎俳談 
この頃都に流行るもの
 建武中興を風刺した二条河原落書きは
此比(このころ)都ニハヤル物
夜討強盗謀綸旨(にせりんじ)
召人(めしうど)早馬虚騒動(そらさわぎ)
追従(ついしょう)讒人(ざんにん)禅律僧
下克上(げこくじょう)スル成出者(なりづもの)
と続く。
これを今様に書き換えると。
此比(このころ)都ニハヤル物
天下太平かのように
北の挑発そっちのけ
安倍の首飛ぶ麻生切り
野党狙うも無理筋で
証人喚問空振りへ
損な選択忖度を
しても官僚出世せず
自民党内もぞもぞと
蠢動し始めたる者ら
寒風吹いて首すくめ
魑魅魍魎も出る場なし
愚か話の民放も
話題の維持に困り果て
つまらぬ話てれてれと
流してお茶を濁しおり
支持率下がるがまた上がる
北の太っちょ様々よ

◎俳談

 ◎俳談
【安易に作らない】
 俳句は常に丁寧に作る必要がある。時間をかけて作った俳句か、句会に間に合わせのために作った俳句かはすぐに分かる。言葉使いが安易であるからだ。
牡蠣フライ味わいのよき夕餉かな
牡蠣フライがうまいなどとは誰でも言える。ここから一歩踏み出さなければ俳句にならない。
牡蠣フライこんがり揚がる夕餉かな
こんがり揚がっているのを見れば味まで分かるのだ。
晩冬の何かを焼ける煙かな
遠くの煙だから何を焼いているか分からないから、「何かを焼ける」と表現したのだろう。しかしこれは正直すぎる。
晩冬の落ち葉を焼ける煙かな
見ていなくても落葉と置き換えればよいのだ。そこまで詮索する人もいない。晩冬と落葉と季重なりだが、この場合は主たるテーマの晩冬を落葉が補っているパターンだから問題ない。
縁日の焼き烏賊(いか)食べて春惜しむ
「食べて」が言わずもがなの言葉だ。動詞は二つあってもいいが、この句の場合は動詞がバッティングして目線を股裂き状態にする。
縁日の烏賊焼く匂い春惜しむ 東京俳壇入選
が正解。

米マスコミがトランプの「独断」に警鐘

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◎米マスコミがトランプの「独断」に警鐘
  軽薄さが漂う対北外交
 日本には“悪夢の構図”も
 言ってみればただの商売人が外交をやることに対する不信感だろう。トランプの対北朝鮮政策に対して米国内で危惧の声が高まり始めた。とりわけ5月に予定される金正恩との会談がうまく展開するかについては悲観的な見方が強く、北が核戦力を手放すことはあり得ないというのが“常識”になりつつある。トランプの秋の中間選挙への“邪心”を指摘する声も多い。日本にしてみても、トランプがICBM実験を抑え込んでも、日本を狙ったノドン200発の廃棄まで実現しなければ全く意味がなく、“悪夢の構図”が現出しなねない。
 なぜトランプが急に米朝首脳会談に乗り気になったかと言えば、韓国の特使の“口車” に乗せられていると言うことだろう。トランプは、特使との会談のその場で「よし会おう」と飛びついているが、そこには、商売人が取引先に会うような「軽々しさ」しか感じられない。世界の片隅で虎視眈々と好餌を狙う、北の体制への理解がないのだ。
“口約束”でしかない韓国のメッセンジャーをまるで信頼しきっており、国務・国防両省などプロの意見を無視しているかのようだ。
 情報を総合すると金正恩は首脳会談の前提として①非核化に尽くす②核・弾道ミサイルの実験を控える③米韓軍事演習を理解するなどを提案したという。その背景には国連の制裁が紛れもなく効き始めたうえに、中国までが本気で制裁に踏み切った結果、さすがに孤立化をひしひしと感じ取ったことがあるのだろう。
 トランプの姿勢に対して米国のマスコミの論調は極めて批判的だ。ニューヨーク・タイムズは、トランプが外交責任者であり解任されたティラーソン国務長官にも相談せず、会談の要請を受け入れたことについて「危険で理解し難い」と批判した。「十分な準備がないまま会談に臨み、北朝鮮側の要求を独断で受け入れてしまう恐れがある」と警鐘を鳴らした。また、ウォール・ストリート・ジャーナルは、「トランプ大統領との会談にこぎつけたことは金委員長の勝利だ」と皮肉っている。さらに同紙は「金氏が核放棄に関する交渉に応じるかどうか、米国も国際社会も懐疑的であり続けるべきだろう。金氏の父、そして祖父も時間稼ぎのために協議に応じ、水面下で核開発プログラムを推し進めてきた。協議に応じる見返りを手にしておきながら、すべての合意を破り続けてきた。」と看破した。
 確かにトランプが問題なのは過去2回にわたる北朝鮮の約束が全て空約束に終わった事すら勉強していないことなのだ。1994年の核開発凍結の約束は、核開発継続に終わった。2005年の6か国協議における核放棄の共同声明は、翌年の核実験で反故になった。北朝鮮はその民族的特性が外交でペテンにかけるところにあることが分かっていない。トランプはいまや恒例と化した北のやり口をすこしは学ぶべきだ。そのやり口とはまず核やミサイル開発で進展を見せ、国際社会の脅威と関心を呼び、その後は韓国でハト派の政権が誕生するのを待ち、外交手段に切り替え援助を得るというやり口だ。
 とりわけ重要なのは既にトランプが引っかかっている「非核化の罠」をどうするかだ。非核化と言っても日本にしてみればICBMの実験中止などで“お茶を濁され”てはたまらない。日本にとっての非核化とは北の核弾頭がゼロになり、製造もしないことを意味する。まかり間違えばトランプはその日本の立場を飛び越えてICBMと核実験の停止で妥協しかねないのだ。そのトランプの極東における核問題の浅薄さを補うのが、安倍の4月訪米だ。ここでトランプをいかに説得するかが極めて重要なポイントとなる。韓国の“伝言”だけに乗っているトランプをいかに目覚めさせるかが安倍の役割だ。

◎俳談

◎俳談
【季語はつけたりでは駄目】
例えば
縄跳びのひらりと着地今朝の冬
という俳句があったとしよう。新聞選者は100%採らないだろう。なぜなら季語が動くからだ。季語が動くということはどういうことかと言えば、今朝の冬でなくても、今朝の夏でもいいからだ。今朝の冬に必然性がないのだ。季語などどうでもいい俳句であるからだ。
 俳句の場合はこう考えた方がいい。すべては「季語様」のためにあるのだと。例えば
山茶花の白の浮き出る薄暮かな 毎日俳壇入選
山茶花という冬の季語のために中七も下五も下部(しもべ)となって働いているのだ。白の浮き出ると形容し、薄暮という白花の一番美しい環境を演出している。
 このように俳句は季語そのものを活かすために作るくらいに考えた方がよい。
スリッパに妻の体温日脚伸ぶ 毎日俳壇入選
掲句も冬至を過ぎればだんだん日脚が伸びることを、スリッパに残った妻の体温で言い表している。季語あっての俳句なのだ。

◎小姑、魑魅魍魎が永田町を跋扈

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◎小姑、魑魅魍魎が永田町を跋扈
  「いいね」で証人喚問とは恐れ入る
 『共産党宣言』の有名な冒頭の一節は「ヨーロッパに幽霊が出る- 共産主義という幽霊である。」だが、さしずめ永田町でうごめいているのは、魑魅魍魎だろう。政権のあらを探して食らう魑魅魍魎だ。しかし今のところ本格的な魑魅魍魎は出てきておらず、二線級ばかりだ。この二線級魑魅魍魎は、首相・安倍晋三の足を引っ張ろうとしているが、決め手に欠けて空理空論ばかりだ。魑魅魍魎の筆頭に立憲民主党幹部の辻元清美をまず挙げる。辻元はなんと安倍昭恵の「いいね」に噛みついた。昭恵のフェイスブックに掲載された「野党のバカげた質問」などの投稿に、昭恵が「いいね!」ボタンが押したことについて、辻元は14日、「もう感覚が理解できない。なぜ『いいね!』を押したかも証人喚問に来ていただいて、お聞きしたい」だそうだ。「いいね」を押したら証人喚問とは恐れ入った。昭恵の「いいね」は多くの人が共感を持つものであり、憲法に保障された表現の自由の最たるものである。「いいね」で証人喚問という発想は、戦前の軍部の発想に似ていて、女のくせに強権的で鼻持ちがならない特権意識を感じる。審議拒否で1日3億円もの国費を無駄遣いしてきた野党こそ、とっとと出て来るべきだった。
 これまた魑魅魍魎の筆頭が元首相小泉純一郎。安倍といえば自分の内閣を支えた中心人物の一人であるにもかかわらず、引っ張れるだけ足を引っ張っている。文書改竄当時に財務省理財局長だった佐川宣寿の国税庁長官起用に関し「国税庁長官になって記者会見を一度もしていない。ひどいなあと思っていた」と述べた。その上で「安倍首相も麻生氏も長官への起用を適材適所と言い切った。これにはあきれたね。判断力がおかしくなったのではないか。どうしてああゆう答弁ができるのか不思議だ」と発言したのだ。この発言は後講釈もいいところだ。起用時には誰一人として佐川が改竄するとは予測をしていない時点の人事であり、分かっていれば起用するわけがない。大体首相がごみ人事に口を突っ込むわけがない。小泉純一郎はどうも狭量な小姑根性が鼻につく。小姑が嫁いびりするたとえに「小姑一人は鬼千匹に向かう」がある。たった1人でも鬼千匹に値するほど、めんどうで扱いにくい存在を指すが、首相まで務めた者が狭量の極みである。
 なんと自民党総務のくせして組織のトップである安倍の足を引っ張る発言を繰り返しているのが村上誠一郎。かつて竹下登がリクルート問題などで政局混乱の責任を取って予算案の衆院通過時に退陣表明したことに言及して「そろそろ大所高所の判断をすべき時期に来ているのではないか」と露骨に退陣を要求した。大男総身に知恵が回りかねとはいわないが、これが自民党議員の発言とは恐れ入る。週刊誌レベルの情報を元に発言しているように見えて浅薄さは極まりない。安倍が国会答弁で「書き換え前の文書を見ても私や妻が関わっていない事は明らかだ。」と述べている通り、この事件に「首相の犯罪」の側面はゼロだ。書き換えは国会対応を担当する理財局の一部の職員が行ったものであり、そもそも首相が大臣や次官を差し置いて職員に直接命令を下すなどということがあるわけがない。民放の馬鹿番組ばかりを見ているからこういう発想が出る。事件の本質はごますり官僚が自らの出世を意識して、“忖度” したところにあり、責任は間の抜けた忖度をした方にあるのだ。いずれの砲弾も“本丸”にとどくまえにお堀に落ちて、鯉をあきれさせているだけだ。



◎俳談

◎俳談
【俳句と感性】
秋の空露をためたる青さかな  子規
俳句は短詩である。したがって何よりも感性が求められる。表面には出なくてもその句の根底にある感性である。子規の掲句は秋の空が露をためているかのように、詩人子規の目に映った。そう映らなければ出来ない俳句である。つまり子規の感性そのものが現れた俳句なのである。
寺山修司が
マッチ擦るつかの間海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや 
と詠んだが、これも感性の固まりのような短歌である。読者を霧の深い海でマッチを擦るという感性の世界にひきづりこんでおいて、身を捨てるほどの祖国があるのかと問いかける。マイクでがなり立てる反戦論者より、百倍の訴求力がある。
爽やかや四角のビルより退職す 東京俳壇1席
評には「四角のビルという平凡な言葉が抜群に生かされて作者の生涯が見渡せる」とあった。職場を「四角のビル」と称する感性を感じてもらえたのであろう。この感性は持ち前のものだろうか、それとも育てられるものであろうか。筆者は両方あると思う。生まれながらに詩的感性を持つ人間はそれほど多くはない。しかし俳句は作句の技術とは別に多作すれば感性も自ずと育つものなのである。素地としては歌謡曲に感動する感性があれば十分だ。後は育つ。
春寒の夜に空襲のありしかな 日経俳談1席

◎国会は、不毛の森友問題に拘泥しているときか

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◎国会は、不毛の森友問題に拘泥しているときか
  緊迫の極東情勢に目を移せ
 朝日は倒閣マニアと化した
 問題は政府・自民党の封じ込め戦略がどこまで通用するかだ。封じ込め戦略とは森友学園への国有地売却の決裁文書が置き換えられていた事件を、財務省理財局内の不祥事にとどめられるかどうかだ。封じ込めに失敗すれば政権を直撃する「政局」マターだが、カギを握るのは、センセーショナリズムの極致を行く朝日新聞とこれに扇動される野党などではなく、自民党内の動向だ。これまでのところ党内の空気は落ち着いており、事件を契機に政権に揺さぶりをかける動きには発展していない。様子見という状況であり、当分腹の探り合いが続くだろう。
 揺さぶりをかける方法があるとすれば、野党は財務省トップである麻生太郎の辞任をまず求め、ついで麻生に責任を取らせ、安倍へと波及させるしか手はない。しかし、政権側は先手を打った。国税庁長官佐川宣寿の辞任と懲戒処分によるトカゲの尻尾切りである。麻生は「あくまで理財局内での一部の職員によって行われた。その最終責任者は当時の理財局の佐川局長である。私の進退は考えていない」と突っぱねた。
 問題はこれによって事態が収束に向かうかどうかであるが、朝日の13日付け紙面作りを見れば、ますます煽りの姿勢を強めている。安倍にとって最悪の事態は麻生の辞任であるが、これは国会における与野党攻防の力関係が決める。野党は総選挙の大敗北で勢いに今ひとつかけるが、問題は与党内に反乱が起きるかどうかだ。自民党内はいまのところ筆頭副幹事長小泉進次郎がキャンキャン吠えているにとどまっている。しかもその発言は「自民党は官僚に責任を押しつけるような政党ではない。その姿を見せる必要がある」と婉曲的に政治家の責任を求めている段階だ。一方、党内野党の元幹事長石破茂も「だんだん、つじつまがあわなくなってきたのかもしれない。なんでこんなことになるのか。仮に事実だとすれば、誰がどんな思惑でこんなことになったのかなということだ。与党側として、仮に不正な、少なくても法に照らして適正でない問題をかばっていると思われたら、自民党の名誉に関わることだ」と突き放し始めた。
 しかし、これら潜在的反安倍勢力の弱点は、安倍に対抗しうる候補が存在しないことだ。まず政調会長岸田文雄は、まだ海のものとも山のものともつかない。安倍からの禅譲狙いしか戦略の決め手がないように見える。ここは“待ち”の姿勢が正しい。石破もその派閥勢力が20人では、立候補するのが精一杯であり、安倍支持勢力には及びもつかない。安倍支持は出身の細田派に加えて、麻生派、二階派だけで所属国会議員の半数を上回る。この3派の結束は今のところ固く、幹事長二階俊博も「安倍さんへの支持は微動だにしていない。野党のいうがままに総辞職することなどない」と発言している。
 安倍と麻生の盟友関係は固いうえに、麻生を辞めさせれば、防波堤が除去され野党はかさにかかって安倍攻撃に戦略を移行させる。ここは安倍も麻生も布団をかぶって降りかかる火の粉を避けつつ、駆け抜けるるしかない。一方公明党も麻生の進退に関しては慎重だ。公明党代表・山口那津男は麻生の進退について「求められるのは財務省の態勢を建て直す責任をしっかり果たすこと」と、選択肢から除外している。
 そもそも決裁文書の書き換えはけしからんと鬼の首でも取ったように朝日は書き立てるが、焦点は国会への開示文書では「特例的な内容となる」「本件の特殊性」という文言が、なくなっていたことにある。しかしこの部分はあくまで主要部分の書き換えではなく、付随した部分に過ぎない。朝日や野党はこのような重箱の隅をつつくような問題ばかりをクローズアップさせて、重大事件扱いし、何が何でも安倍政権を倒閣に追い込むという姿勢が鼻につく。朝日は13日の紙面は1面から4面まで倒閣路線を貫いている。もはや倒閣マニアのレベルだ。TBSなど民放も明らかに放送法に規定される「中立な報道」を逸脱した報道が目立つ。そこには、マスメディアにあってはならない平衡の感覚の欠如が著しく存在する。おりから極東情勢は激動含みで推移しており、米朝対話も日本抜きで進みかねない。いまこそ外交安保が喫緊の課題であるにもかかわらず、朝日と民放と野党の浅ましいばかりの挙げ足取りはいいかげんにせよと言いたい。

  

◎俳談

◎俳談
【炬燵(こたつ)のドラマ】
淋しさも茶柱と呑む炬燵かな 東京俳壇入選
 長い人生の内には炬燵はドラマ展開の場ともなる。部屋の中に炉を切り、その上に木製の櫓(やぐら)を掛けたのが切炬燵。床に深く掘り下げて腰掛けられるようにしたものが掘炬燵。持ち運びできるものは置炬燵でいずれも燃料は炭か練炭だった。そして電気炬燵へと変わる。炬燵はもちろん切炬燵、置炬燵、掘炬燵などみな冬の季語だ。年配の人はすべてを経験しているかも知れない。従って昔の炬燵を詠めば自ずと時代が分かる。
芭蕉の時代にも置炬燵はあった。
住みつかぬ旅のこゝろや置火燵
と詠んでいる。
キシリトールが歯の健康によいことは広く知られるようになった。筆者はキシリトールガムが好きだから原稿を書きながらかんでいるが、おかげで30本全く虫歯がない。歯医者から表彰されたほどだ。
炬燵猫キシリトールの口を嗅ぐ 
猫は珍しい匂いを確かめようとする。
裏情報知り尽くしたる炬燵猫 杉の子
古い猫は寝たふりしてその屋の家族の話を皆聞いている。一番の情報通に違いない。
だから時々猫めは追い払われる。
茶を出しぬ炬燵の猫を押落し 金子伊昔紅
といった具合だ。医者で俳人の金子伊昔紅(いせきこう)は、当代随一の俳人・金子兜太の父。

◎米は北朝鮮の「時間稼ぎ」に惑わされるな

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◎米は北朝鮮の「時間稼ぎ」に惑わされるな
   非核化の真偽を見極めよ
 モリカケばかりの野党は目を覚ませ
 人を錯誤におとしいれて財物をだまし取る者を「かたり」という。首相・安倍晋三は希代のかたりが隣に住んでいると用心した方がよい。祖父金日成も父親金正日も世界を欺いて国家を生きながらえさせてきた。今回も厳しい国際包囲網突破を目指して金正恩は着々とかたりの布石を打っている。韓国大統領文在寅はやすやすと突破され、金は文を使ってトランプを籠絡しようとしている。北は核ミサイル完成に向けて「時間稼ぎ」をしているに過ぎない。短兵急な対応は極東に危機をもたらしかねない。安倍が、懐疑的な姿勢をくづしていないのは救いだ。ここはトランプの“前のめり”にクギを刺す必要がある。トランプは自国の防衛のため北に大陸間弾道ミサイル(ICBM)を破棄させても、日本は核兵器や細菌兵器を搭載可能なノドン200発を向けられたまま、置き去りにされかねない。極東情勢が激動の時に国会は朝日新聞に扇動されて野党が森友だの加計だのの論争に明け暮れしているが、いいかげんに目を覚ませといいたい。
  米大統領は普段はホワイトハウスの小さな記者会見場に姿を見せることはないが、韓国特使との会談後現れたトランプの姿を見て、「危うい」と感じたのは筆者だけだろうか。北に踊らされて、はしゃいでいる姿だ。韓国の特使の報告に全て乗せられて金正恩との会談を、千載一遇のチャンスと飛びついた感じが濃厚だ。トランプは北との直接交渉に持ち込むことによって、4半世紀にわたって米国大統領を翻弄(ほんろう)し続けてきた北の核ミサイル問題を一挙に解決出来ると踏んでいるのだろうか。そうなら愚かとしか言いようがない。まずここは真偽の見極めが先決だ。
 トランプはロシアゲートのスキャンダルでメディアの攻撃にさらされ、支持率は30%台と、歴代大統領でも最低の状態にある。秋には中間選挙があり共和党は指導力欠如の大統領のせいで苦戦を免れない。ここは外交に突破口を見出すしか道はないのだ。その弱点を狙って金正恩はまず韓国の左派大統領文在寅を落とし、ついでトランプを落とそうとしているのだ。北の最終的な狙いはまず包囲網を分断し、米軍を朝鮮半島から撤退させることにある。全てがそこに向けての布石であると考えるべきなのに、トランプは目先の舞台ばかりに目を奪われているかのようである。トランプが“伝言”だけを頼りに「彼らの声明はとてもポジティブなもので、世界にとっても素晴らしい」と手放しで賞賛するような事態ではないし、韓国特使らに米朝首脳会談を「即答」するほど、軽い問題でもない。
 まずトランプは韓国の「伝言」だけに頼らず、北の外交の本質を見極める必要があるのだ。本質とは徹底した欺瞞外交である。史上数知れぬほど国際社会を欺いてきた北朝鮮は、2005年には、6者協議で①核計画の放棄②米国による体制の保証③北への経済支援ーに応じた。そして経済援助を得た後は、どこ吹く風で核兵器の製造にいそしんだ。今回も同様の手口を取ろうとしているのだ。金正恩が①非核化に尽くす②核・弾道ミサイル実験を控える③米韓合同演習を理解する事などを条件に、米側に早期のトップ会談を求めている。
 もともと①から③までは米国が北に条件として提示しているものであり、金正恩はこれを受け入れる決断をしたことになる。しかし、問題は「非核化」が何を意味するかだ。米国は合意を急ぐあまりに詳細を詰めない妥協をしてはならない。北に関してはつねに「やらずぶったくり」を懸念しなければならない。せっかく作った“貧者の宝物”である核ミサイルを手放すとでも考えているとすれば甘い。そもそも10年前とは前提条件が様変わりしているのだ。10年前の北の要求は「核兵器製造計画を放棄する代わりに体制を保証する」であったが、今回は「核ミサイル攻撃能力を持った上で米国と対等に話し合う」路線となっている。要するに核ミサイルプログラムの再稼働を常にちらつかせながら、次から次へと譲歩を引き出す作戦なのだ。過去にジョージ・W・ブッシュもその作戦にはまって北をテロ支援国家から削除したが、時を経ずして核開発は再開だ。従って、たとえ話し合い協議に入っても、現行の厳しい国際制裁を維持する必要があることは言うまでもない。そればかりか北が核ミサイルを全て破棄し、国連の視察を受け入れて、それを確認するまで手綱を緩めてはならないのだ。北に関しては、全てを疑ってかかるのが常道なのだ。韓国の文在寅は4月末にも金正恩と会談、トランプは5月までに金正恩と会談することになっている。しかし、一連の会談は長い非核化の道への第一歩に過ぎない。安倍は会談を急ぐ必要はあるまい。一連の接触を見極めた上で行動に移せば良いことだ。むしろ安倍は、4月のトランプとの会談では、北の手玉に取られないようトランプに友情ある説得をすることが肝要だ。日米は核とミサイルを放棄させるための確たる態勢を整え、最大限の圧力を今こそ継続しなければなるまい。韓国の文在寅は度しがたいから説得は利かないが、トランプには拙速を戒め、冷静な見極めを求めるべきだ。

2018-03-07

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◎トランプ式“関税爆弾”は“恐慌”を招く
  同盟国まで敵に回す国際戦略の欠如
 米国内に同盟国免除論
 米大統領ドナルド・トランプが世界を相手に投げかけた“関税爆弾”は、70余年間続いてきた自由貿易体制崩壊の危機を生じさせている。欧州連合(EU)と中国は、連日のように米国による鉄鋼・アルミへの課税に対して独自の課税品目をちらつかせ、まさに貿易戦争も厭わぬ状況を現出させている。トランプの意図には秋の中間選挙対策の匂いがふんぷんと感じられる。報復合戦→貿易戦争→景気悪化→恐慌といういつか来た道すらほうふつとさせる。日本も打撃を被るが首相安倍晋三は6日、オーストラリアのターンブル、カナダのトルドー両首相と相次いで電話会談し、緊密に連携して対応することを確認した。米国以外の11カ国による環太平洋連携協定(TPP)についても引き続き協力し、自由貿易圏の拡大に取り組むことで一致した。外務省の秋葉剛男事務次官は6日、ハガティ駐日米大使に対して、「日本からの鉄鋼やアルミニウムの輸入が米国の安全保障に悪影響を与えるものではない」とトランプの方針を批判した。
 それにしても、どうしてトランプという大統領は、自分の行為が及ぼす結果への予測が利かないのだろうか。今回の事例で分かったことは側近までが同調しており、殿のご乱心を止められないということだ。トランプは自由貿易をまるでゼロサムゲームとでも考えているかのようである。世界の自由貿易体制を一人が総取りするようなゲームと見間違えてはならない。貿易は世界中の何千万という売買行為によって成り立っている。米国の赤字は膨大な量の自由貿易の結果であり、トランプは、この貿易にストップをかければ米国の雇用が増えるなどという妄想にとらわれているとしか思えない。行き着く結果は自給自足経済となり、最終的には投資の崩壊と恐慌を招くのだ。
 それにもかかわらずトランプは度しがたい発言を繰り返している。
2日朝のツイートは「米国が取引しているほぼ全ての国との貿易で何十億ドルもの損失を被っている時には、貿易戦争はいいことであり、勝つのは簡単だ。例えば、われわれがある国との取引で1000億ドルを失っている時にその国が厚かましい態度に出るなら、もう取引をやめよう。そうすればわれわれの大勝利になる。簡単なことだ」だそうだ。そこには度しがたい独善主義しかない。
 現にブルームバーグ通信は2日の社説で、「1930年に米国がスムート・ホーリー関税法の施行後、世界的な報復関税によって大恐慌に見舞われ、世界経済も崩壊した」と指摘し、「トランプ大統領は貿易戦争で果たして何を得るつもりか」と詰問した。ノーベル経済学賞受賞者であるロバート・シラー・エール教授も、「大恐慌当時に起きたのと同じ状態だ」と指摘している。ライアン米下院議長はアルミニウムと鉄鋼に対する関税案の撤回を求める姿勢を和らげ、代わりに貿易システムを乱用する国々に絞った措置を取るようホワイトハウスに促した。
  こうした状況を受けて米国の複数のメディアは、「トランプ大統領は行政命令署名までの残りの数日以内に、せめて重要な同盟国を除く必要がある。」と提案した。ワシントンポスト紙も、社説で、「数十年間構築してきた同盟関係と相互互恵的自由貿易秩序が、米大統領の気まぐれで傷つけられるようになった。カナダ、日本、韓国、ドイツなどの同盟国を、新しい関税措置から免除しなければならない」と主張した。さらにニューヨークタイムズ紙も、「トランプ大統領は、中国の過剰生産を減らすことに興味があるなら、中国を圧迫するためにEU、カナダ、日本、韓国と協力すべきだったにもかかわらず、同盟国を怒らせた」と指摘した。米マスコミの大勢は対中制裁はやむを得ないとするものの、同盟国まで敵に回すトランプの洞察力と国際戦略の欠如に警鐘を鳴らしているのだ。
 米国は2002年には日本からの鉄鋼製品に高度な関税をかけ、その結果、日本の鉄鋼を原材料に製品を作る自動車部品メーカーなどに収益の悪化ををもたらした。一方的な措置でツケを払わせられるのは一般国民にほかならないのだ。米国の経済専門家からは長期的には米国経済にマイナスであるとの見方が生じているが当然である。
 一方中国との貿易関係は今年に入ってから暗雲が漂う気配が生じていた。1月に中国からの太陽光パネルに高関税をかけたのだ。それにもかかわらず同盟国まで一括して含めてしまったのは戦略上の大失策だろう。現に欧州連合(EU)は委員長ユンケルが、「ハーレーダビッドソン、バーボン、リーバイスのジーンズを含めた米国製品に関税をかける準備をしている」と語った。米メディアによると、こうした措置の対象は総額35億ドル(約3700億円)規模になるという。これに衣類や化粧品、トウモロコシ、オレンジジュースなども加わる方向だ。一方、全人代報道官張業遂は「中国の利益が損なわれることを座視するわけにはいかないが、貿易摩擦の正しい処理は協議を通じて解決方法を探ることだ」とクールダウンに出ている。
 頭に血が上ったトランプをいかに懐柔するかだが、今週TPP(環太平洋経済連携協定)11はパートナーシップ協定に各国が署名する段取りとなっている。チリの首都サンティアゴで8日(日本時間9日)に署名式を開く。日本からは経済再生相茂木敏充が出席する。参加各国の署名で最終合意となり、協定文書が正式に確定する。まさに自由貿易の砦となるものであり、かつては自由主義貿易の旗手であった米国が打ち出した“禁じ手”に、どう対応するかが焦点だ。政府は、トランプ大統領の最終署名までの残り時間に、外交力を総動員して、世界経済の崩壊を食い止めなければなるまい。トランプ式“自給自足経済”は“恐慌指向”としかいいようがないからだ。
 ◎俳談
【高齢者向け季語】
年寄りをユーモアたっぷりに茶化す季語に「着ぶくれ」と「懐手」がある。着ぶくれとは言うまでもなく何枚も重ね着して、体が膨れて見えることを言う。懐手は和服の袂の中や胸元に両手を差し入れる状態。両方とも冬の季語だ。年寄りは何しろ肺炎になったらいちころだから、昔は着ぶくれる一方だった。しかし最近では洒落たダウンジャケットが大流行しており、若者たちも着ぶくれて朝の満員電車の混雑を一層ひどくしている。しかし句になるのはやっぱり年寄りだ。それも退職して所在なげな年寄り。哀れなのは会社人間だった年寄りだ。特に幹部経験者は命令口調が癖になってしまっているから
着膨れて命令口調直らざる 東京俳壇入選
ということになる。もっともこれが好好爺に突然変わったりすると、ぽっくり逝ったりするから気をつけた方がよい。      
着膨れて支那そば食べに来たわいな 東京俳壇3席
こんな調子が達観していてよい。
久保田万太郎は
着ぶくれのおろかなる影曳くを恥ず
と詠んだ。着ぶくれた自分をおろかなどとはなかなか言えるものではない。粋な万太郎のダンディズムだろう。
懐手も、毎日となると苦痛になる。仕事人間は何もしない毎日が、「自由の刑」を受けているように感ずる。これは自分でやることを見つけて体勢を立て直すしかないが、なかなか簡単にはいかない。
毎日が自由の刑や懐手 読売俳壇入選
ということになる。しかし俳人はそうした日常も茶化して俳句にしてしまう。
懐手あたまを刈って来たばかり 万太郎
「うまい。座布団3枚!!」

◎9条改憲は首相案が適切

 

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◎9条改憲は首相案が適切
  チャンスは今年しかない
  北と中国で不可欠に
 25日の自民党大会を控えて、今年最大の与野党の争点となる改憲構想が固まってきた。自民党は、首相安倍晋三が昨年5月に提示した戦力不保持を定めた9条2項を維持した上で、自衛隊の存在を明記することを骨格とする方針を固めた。今後はこの線に沿って公明、維新など改憲勢力を糾合して、今年中にも発議して国民投票にかけたうえで改憲を実現する方針だ。占領軍に押しつけられた9条は明らかに、日本の戦力の骨抜きを狙ったものだが、改憲には戦後70年を経て北朝鮮の暴発や中国の海洋進出で極東環境が時代にそぐわなくなったことが大きく作用している。
 まず9条の内容に触れる。1項は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」としている。また2項で「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」となっている。
  自民党党憲法改正推進本部は昨年十二月の論点整理で、九条一項と二項を維持して自衛隊の存在を書く案と、二項は削除して自衛隊を明記する案の両論を併記した。安倍は昨年五月に二項維持で自衛隊を3項に加憲する案を提示して、2020年までに施行する方針を明らかにした。一方、党内には、元幹事長石破茂ら「削除派」が二項削除で自衛隊明記をを主張している。しかしこの石破案は少数派にとどまっており、党内は圧倒的に「2項維持による加憲派」が多数で、首相案支持に回っている。
 その最大の理由が、安倍が大局を見ているのに対して、石破は見ていないからであろう。改憲という大事を実現するためには自民党が単独で突撃するようなことは、のちのちに禍根を残すからだ。公明の抱き込みはもちろんのこと、維新の賛成まで視野に入れているのだろう。維新は9条改正を初めて昨年の総選挙の公約に入れており、内容によっては同調する可能性がある。
 首相の主張する2項を削除しない場合の問題は、9条に関する分かりにくい解釈がそのまま残ってしまうことだ。自衛隊が戦力であるかないかの論争は、2項に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と言う表現があるが、これを政府は「自衛隊は自営のための最小限の実力組織であり、2項の『戦力』には当たらない」と解釈してきた。吉田茂による「戦力なき軍隊」論が姿を変えていまだに続けられているのだ。自衛隊は世界有数の軍隊であり、保有装備・武器ランキングはアメリカ(核武装),ロシア(核武装),中華人民共和国(核武装)、日本の順と言われている。核武装なしでも4位なのである。
確かに世界有数の戦力を持つ自衛隊が「戦力でない」というのは国会でだけ通用する詭弁に過ぎないのだろう。だいいち、戦力不保持を削除すれば、発議後の国民投票で否決される可能性が高くなるとみられる。副総裁高村正彦は講演で「削除することは国民投票があるので困難」と訴えていた。
 もっとも、2項を維持して自衛隊を明記した場合「戦力」かどうかの整合性が常に問われることになる。筆者はこれもやむを得ないと思う。なぜなら絶対平和主義の公明党や他の野党の参加を促すためにはあえて「詭弁」を使って実利を取る方が、憲法改正戦略には得策であるからだ。憲法はもともと不磨の大典などではなく、諸外国では時代に合わせて常に改正しているのが実情だ。中国などは習近平の終身政権維持のために改正するほどだ。したがって、日本にある改憲アレルギーを除去するためにも、「詭弁」も衆生を教え導く巧みな手段である「方便」と考えるべきなのだ。これで蟻の一穴を開け、将来的に時代に即応した改憲を実現して行けば良いのだろう。
 幸い石破茂も「決まったことには賛成する」と発言しており、党内はよほど執行部が油断しない限り、まとまり、骨格を党大会に提示出来るものとみられる。この機会を失えば来年は天皇即位、参院選挙と日程が続くし、オリンピックという国事の前の政界混乱は世界に醜態をさらす。発議と国民投票は早ければ早いほどよいのだ。
 ◎俳談
【儚(はかな)きもの】
冬の虹すぐに消えたり妻呼べば 東京俳壇入選
 自然現象の中でも儚いものの象徴が冬の虹だろう。かかっても小振りですぐに消えてしまう。
虹は夏の季語であり、その夏の虹は雄大さと華やかさと儚さが共存すると言ってもいいが、冬の虹は儚さだけで成り立っている。だからかかるとすぐに人を呼びたくなる。人に知らせたくなる。 
声寒く入り来て虹を知らせたり 産経俳壇入選
「うー寒い」と言いながら帰宅して、茶の間を開け「今虹がかかっているよ」と伝えるようなイメージだ。冬の虹は珍しい季語でもあるが、珍しい季語にも時には挑戦してみることだ。儚いという本質をとらえつつ作句する。
安住敦の
冬の虹消えむとしたるとき気づく
は、まさに本質を突いた一句だ。
    

◎反日“ちゃぶ台返し”の文は相手に出来ぬ

          
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 背後に度しがたい支持率狙い
 冷え切った日韓関係
 まるでオリンピック終了を待つかのような韓国大統領文在寅による“ちゃぶ台返し”である。慰安婦問題の解決を合意した日本に対してまだ終わっていないと批判演説をぶった。政府が反論したのは当然だが、もう国民は韓国の蒸し返し外交に飽き飽きしているのが現実であろう。2015年12月 28日の日韓外相会談での慰安婦合意は、安倍政権と朴槿恵政権による合意だが、政権が代わったからといって手のひら返しをするのは、文在寅がいかに国際外交の基本に無知であるかを物語るものだろう。国家間の約束は政権が代わっても責任もって実施することは、国際的に普遍的な概念である。この度しがたい左派反日政権に対しては外交交渉が通じない。当分相手にしない方が得策のような感じがする。日韓関係は冷え切った時代に入った。
 日韓合意は①日韓両国政府は慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認した②安倍は、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた責任を痛感し、お詫びと反省の気持ちを伝えた③日本は元慰安婦支援の財団に10億円を拠出する④国際社会での批判非難を控えるーを骨子としている。
 この合意に対してまず外相康京和が違反の口火を切った。康はこれまでの慰安婦対応について国連人権理事会で「被害者中心の対応を明らかに欠いている」と発言したのだ。これは明白に慰安婦合意の「国際社会での非難・批判を控える」という部分への約束違反であり、合意を確信犯的に破棄したことを意味する。文在寅は2月9日に訪韓した首相安倍晋三との会談で、慰安婦問題について「政府間の交渉で解決出来ることではない」と指摘していたが、さらに踏み込んだ表現で1日「最終解決」を改めて拒否した。独立運動の記念式典で演説した文在寅は「加害者である日本政府が『終わった』と言ってはならない。不幸な歴史であればあるほど、その歴史を記憶して、それから学ぶことだけが真の解決だ」と述べた。また島根県の竹島について、「日本の朝鮮半島侵略の過程で最初に支配された土地で、韓国固有の領土だ。日本がその事実を否定するのは、帝国主義による侵略に対する反省を拒否することにほかならない」と強い調子で日本を批判した。
 まさに“ちゃぶ台返し”だが、官房長官菅義偉が、「日韓合意に反するものであり、全く受け入れられない。極めて遺憾であり、韓国側に対し直ちに外交ルートでわがほうの立場を伝え、強く抗議した。わが国としては、この合意に基づいてやるべきことはすべてやった。あとは韓国が約束をしっかり履行することを強く求めていきたい」と反発したのは当然である。
 竹島に関する文の発言は、歴史的な事実に反する。竹島は1905年に国際法上の手続きを経て島根県に編入したものであり、韓国の不法占拠こそが問題なのである。
 こうした文の発言に対してはさすがに韓国国内からも批判が生じている。1万人が集まった保守派の集会では、元統一省次官金錫友が「文在寅大統領は国内対立を回避するために対日問題を政治利用している」と看破している。最近の国際世論もいささかあきれている様子である。平昌五輪の開会式を中継していた米NBC放送の解説者が「日本は韓国の手本」と発言。この発言に連動して米経済誌「フォーチュン」も、「発言は重要な真実を含んでいる」との趣旨の記事を掲載した。日韓の歴史を知る解説者なら当然の反応であろう。
 日本の朝鮮統治については、否定的な面ばかりが強調されてきた。日本の一部マスコミも、これに同調しているが、植民地時代という時代背景を忘れている。ヨーロッパの各国の過酷な植民地政策に比較して、日本は、朝鮮の経済・産業・教育などのインフラ構築に、はるかに多くの努力と費用を費やしてきた。李朝末期で腐敗しきった政治を立て直し、国民への教育制度も確立した。もっともひたすら日本叩きに精を出している反日文在寅にそんなことを言っても、聞く耳を持つわけがない。
 冒頭述べたように、日本ではまたかという「韓国疲れ」がたまっている。今度の場合は文に譲歩する必要もないし、極東安保を考えれば超強硬策を取るわけにもいかない。この冷え切った日韓関係は、るる述べてきたように指導者としての大局観に欠ける文在寅に責任の大半があり、あえて、関係改善を図ることもないのではないか。もちろん安倍が再び謝る必要などさらさらない。文在寅にはオリンピックが終わって、人気を維持するために反日の“禁じ手”を使う卑しい魂胆がありありと見える。こんな大統領をまともに相手にしても仕方がないと言うことだろう。
◎俳談
【新酒を詠もう】
友ら皆白髪か禿げよ新酒汲む 読売俳壇入選
 昔田中角栄の家に夜回りすると、酒はオールドパーであった。ロッキード事件の後などは一晩で一本開けることもあったようだ。「なんで越後の酒でなく洋酒なんですか」と聞くと「日本酒はうますぎてついのみすぎてしまう」だそうだ。それでも正月の宴会には3升も入る日本酒の大瓶がふるまわれた。一緒に夜討ち朝駆けした友も皆白髪か禿げとなった。
 新酒は秋の季語。かつては収穫した新米をすぐ醸造したため秋の季語となったが、現在はほとんど寒造りで、2月に出荷される。
一つ欠き五臓と五腑に染む新酒 杉の子
 20年前に胆石の手術で胆嚢を取ったが、医者はのんでもいいと言うから遠慮なくのんでいる。しかし昔のようにがぶ飲みをしない。楽しむ習癖が年と共に備わった。
がぶ飲みはもはやせぬ歳今年酒 杉の子
酒を詠んだ名句は何と言っても李白だろう。杜甫が「李白一斗 詩百篇」と詠んだようにたいへんな酒豪であった。たしかに一杯やりながら俳句を作ると面白いようにどんどん出来る。せきを切ったように出来るのだ。しかし翌日覚めてから見ると駄句の山を築いていたことが分かる。李白は「山中にて幽人と対酌す」で
両人対酌すれば山花開く 一盃一盃復(ま)た一盃
と自然の中で酒を酌み交わし、 気ままに語り合う自由を詠んでいる。



◎俳談

◎俳談
【時事俳句は軽い】
 新聞投句だから、新聞やテレビの報道を基に作った時事俳句が入選するだろうと考えるのは甘い。選者は真っ先に捨てる。句会でも時事句は上位に入賞することはない。例えば<天安門テロ発生し秋の空>などという、テレビを見て詠んだような駄句は100%採られない。初心者はどうしても入ってくる情報で俳句を作ろうとする傾向があり、メディアの報道に踊らされるのだ。従っていきおい表面的で一過性の句になる。古来一過性の俳句は俳人がもっとも忌避するものである。
 どうしても時事句を作りたかったら、起きた事象をニュースのように俳句にせずに、一呼吸置いて一般化して作ることだ。笠智衆が死んだときに作った俳句を例示すれば
猿山の笠智衆らの日向ぼこ  産経俳壇入選
笠智衆ばかり集ひて新茶汲む 東京俳壇月間賞
と言った具合だ。笠智衆が死んだなどとは一言も言わずに、故人の懐かしい感じを出した。
恐ろしき昭和を見たり晝寢覚   朝日俳談1席
も、元号が平成に変わった時期に詠んだ句だが、戦争、原爆などと言わずに「恐ろしき昭和」だけの表現で時代をえぐって成功した。
反戦で張りのある声生御魂(いきみたま)        朝日俳談1席
反戦運動が盛んでも全学連などを詠んでも成功しない。生身魂(いきみたま)ほどの高齢者が反戦を唱えることに感動して、そこに絞った。
 通学児童に話しかけたら警戒された。子供に対する痴漢行為が社会問題になったころだ。
人見れば痴漢と教え赤とんぼ      朝日俳談入選
親にとっては必死の防御教育だろうが、なにか現代社会の情けなさを感じた。

◎飽くなき習近平への権力集中

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◎飽くなき習近平への権力集中
 歯止めの利かぬ独裁体制の危険度
 中国が歯止めのない独裁体制へと突入した。ただでさえ共産党が独裁体制を敷く中国に「任期は2期10年」となっていた国家主席任期の上限撤廃が行われることになった。習近平の「終身国家主席」としての永続が加わったのだ。 2月26日、中国の交流サイトでは「中国に個人崇拝はいらない。終身制はいらない」「北朝鮮みたいだ」といった批判的な意見が飛び交った。中には「習大帝万歳、万歳」という皮肉めいた書き込みもあったという。問題は、こうした書き込みはすぐに削除され、一部のサイトではコメント欄を閲覧できなくなったことだ。掲示板によっては「2期10年」などの検索用語が使えなくなった。
 そもそも現行憲法で「2期10年」が定められたのは、1966年から1976年まで続いた文化大革命への混乱を反省するためであった。このため江沢民、胡錦濤は10年で退任している。その任期が撤廃されたことは、習近平が2023年までであった任期を無期限に延長したことになる。
 そもそも習近平の権力への執着は著しいものがある。昨年10月の第19回党大会で、習は社会主義現代化を掲げて「2035年」という長期政権を意識した日程を提示した。党政治局常務委員の人事では、後継者となるべき50歳代の起用が見送られた。いずれも長期政権に向けた布石だったと考えられる。後継候補の出る杭は打たれたのだ。その「露骨な姿勢」は外面上、高度成長期に終止符を打った中国の経済を長期上昇志向に立て直すためという大義名分がある。しかし、その本質は習近平の飽くなき権力意欲にあるのだろう。2012年に国家主席に就任して以降、習は反汚職運動の名の下に政敵を次々に排除し、自らに権力を集中させて来た。そもそも毛沢東時代以降は中国共産党内の各派閥のリーダーは平等に権力を分け合うことを慣習としてきた。習はそれを変えたことになる。これまでの指導者は集団指導体制と併せ、後継の候補を早く決めるのが慣例だった。だが、習体制下では今も後継が誰かは見えてこない。見えないと言うより習は「見せない」のであろう。
 習の権力欲は党大会などを通じて自らを現指導部内で別格の「核心」と位置づけ、共産党規約には名前を冠した「思想」が明記された。毛沢東以来のことである。習に近い多くの部下が中央・地方の主要ポストに就いてをり、体制をほぼ固め終わったかにみられる。。
 マスコミの論調は、冒頭示した裏メディアと異なり、新華社は「習近平主席は新たな繁栄の時代へと導いてくれる」と期待を表明。共産党機関紙の人民日報もさまざまな人々の話を引用し、「大半の人々は憲法改正を支持している」と伝えた。要するに正規メディアは“礼賛”なのである。これは逆に、いかに習政権が、メディアに目を光らせているかの左証でもある。
 世界的にも独裁政権長期化の流れは生じている。世界は情報革命とグローバル化で冷戦終結以来の激動期に突入しているといわれる。露大統領プーチンやトルコ大統領のエルドアンなどは、長期政権で難局乗り切りを目指している。カンボジアなど中国との関係が密な国で独裁政権の長期化が進んでいる。
 今回の動きは、中国の憲法や法律が政治家個人と党の目的をかなえるために存在していることを証明している。中国はそもそもが一党独裁国家であり、これに加えて習近平が長期にわたり自画自賛体制を継続させることになる。イギリスの歴史家ジョン・アクトンは「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」との格言を残したが、一党独裁プラス習近平独裁が、政策の硬直化や独善的外交、軍事的脅威の拡大を極東にもたらす流れとなることは、長期的に見れば確実だろう。
 日中関係に目を転ずれば、今年は日中平和友好条約40年を迎えている。1998年の日中平和友好条約締結20周年では、江沢民が史上初めての中国国家主席として公式に来日、30周年に当たる2008年には胡錦濤が来日している。となれば40周年の今年中の習近平来日が実現する公算が大きい。民主主義と法の支配という普遍的価値観を共有しようとしない中国の“皇帝閣下” の来日に異を唱える必要もないが、縷々述べてきたように「招かれざる客」の側面がないわけではない。

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