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謹賀新年 浅野勝人

謹賀新年  平成30年 新春
安保政策研究会理事長 浅野勝人

新年のご挨拶を申し上げます。
あなた様のご一家にとって息災な一年となることを祈願いたします。
アジア・太平洋地域の安定と繁栄の調査・研究を目的とする一般社団法人「安保政策研究会」理事長が、年頭に当たって、アジア情勢を予測する総論の提示ではなくて、大相撲のコメントとは本意ではありませんが、“角力、スモウ”の明け暮れに ひと言 触れさせていただきます。

日本相撲協会の臨時評議会は、貴乃花親方の処分に当たって、「礼を著しく欠いた」のではなくて、「理事としての(報告)義務を著しく欠いた」と判定すべきでした。
礼は最も重要な道徳的観念ですが、重役会議の冒頭、「皆さん、おはようございます」と言わずに重要な案件について的確な報告をした専務取締役がクビになることはありません。「皆さん、おはようございます。連日ご苦労様です」と礼を尽くしたが、重要案件の報告を怠り、会社に莫大な損失を与えた副社長は解任されます。

中国の古典、「韓非子」に「知らずして言うは不智、知って言わざるは不忠」(初見秦)― 不知而言不智、知而不言不忠 ―
事柄の内容を十分に知らないのに進言するのは無知の誹(そし)りを免れず、かといって内容を十分に知りながら進言しないのは不忠の罪に当たる。
韓非の時代、「不忠」とは「死罪」を意味しました。

貴乃花親方は改革の旗手と言われますが、差しあたって、何をどう改めようというのか、理事長選にチャレンジする際、所信を表明すればいいと考えているのか。もし相撲協会を改革する理念・青写真があるのなら、提示しないことには誰にもわからない。とにかくだんまりのままでは評価の仕様がありません。惜しまれる。

ところで、横綱審議委員会が横綱・白鵬の「かち上げ」「張り手」は品位に欠けるとクレームを付けました。

「かち上げ」(搗ち上げ)は相撲の技(わざ)のひとつです。
前腕をカギの手に曲げ、相手の胸をめがけてぶちかますカタ(形)です。かち上げは相手の体をおこしたり、ぐらつかせて後退させ、差し手を有利にする技です。「搗つ」とは「杵(きね)で臼(うす)の餅を搗(つ)く」という意味です。
横綱では、北の湖、朝青龍が得意技としていたそうです。
八角理事長(横綱・北勝海)は「かち上げは好きだった。相手の胸に穴をあけるくらいのつもりで当たっていった。来るなら来いという意気込みで、当たりが良ければ相手はひるむ」と述べています。勝つための当然の戦法、見上げた勝負師の心意気です。

「張り手」も相撲のカタのひとつで、平手を横に振って、相手の顔や首の側面を叩(はた)いて出足を鈍らせる技です。両手で両耳を同時に張るのは禁じ手です。(相撲規則禁手反則第1条4項)

横審に伺いますが、なにか白鵬が禁じ手を使って、違反行為をしたのでしょうか。
土俵下の藤島審判長は「白鵬のかち上げは横綱の体がおきる。両方から押っ付ければ持っていける。大した技ではない。やられる相手が弱いんだ」と指摘しています。
白鵬びいきの私に言わせれば、下位の力士が無策で簡単に負けるから、白鵬が「荒っぽい手口」と批判されるだけのことだと思っています。

白鵬翔は「強い人が大関になる。宿命ある人が横綱になる」と答えました。
その心を代弁すれば、「白鵬を倒したいのなら、顔を張るのは横綱らしくないとか、右のカチ上げは出足を止められて相撲にならないとか、愚痴は見苦しい。稽古を積んで白鵬の顔を張って、カチ上げて来い」と言っているのです。(浅野勝人著「宿命ある人々」225ページ)

横審の北村委員長が「横綱の品位に欠ける張り手やかち上げは見たくない」というのなら、大相撲を観るのをお止めになるか、それとも禁じ手として相撲協会に諮問して、相撲規則を改正させたらどうか。白星を求めて、血みどろの稽古に耐えている力士の正当な技に無責任な言いがかりをつけるのは適切とは言えない。

今年の年賀状に「1強とはいえ意外のもろさが今年はあらわれるでしょう」(産業界で活躍した財界OB)と同趣旨のものが3通ありました。
14日に始まる初場所は白鵬1強の土俵となるか、白鵬に代わるニュースターが白鵬を退けるか。
「ポスト安倍は安倍」という二階自民党幹事長の思惑通り、1強のまま推移するのかどうか、予測は困難、まだ早過ぎます。(元内閣官房副長官)

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