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◎俳談

 ◎俳談
【文字そのものを詠む】
「を」はをんな座れる姿蚊遣香 読売俳談入選
 漢字やカタカナの「姿」をそのまま俳句に詠むことも出来る。俳句は何でもありの世界なのだ。江戸時代の女流俳人・田捨女が詠んだ句に
雪の朝二の字二の字の下駄のあと
がある。昔の雪の日の情景がすぐに浮かんできて懐かしい。今でも7月22日の「下駄の日」によく紹介される。この俳句に接すると実に爽やかな気分になる。雪の朝の情景がすぐに目に浮かんでくるのだ。下駄の呼び名の成立は戦国時代と推測され、下は地面を意味し、駄は履物を意味する。それ以前は「アシダ」と呼称された。韓国には「日本人には靴を教えてやらなかったから下駄を履いている」という話があるが、しつこい歴史認識と同じで、東京都規模の小国の言うことにいちいち目くじらを立てても仕方がない。無視が一番。読者の爆笑を誘ったのが拙句の
湯湯婆(ゆたんぽ)と書けば笑へるなあ婆さん 読売俳壇一席
漢字もひらがなも観察すれば俳句になる。

◎解散の「大義は後から貨車で来る」

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 過去にも頻繁に「大儀なし解散」
 アベノミクス、北朝鮮は最大の大義
 政治を知らない政治論議が盛んである。いわく「解散には大義がない」だそうだ。この論議14年の総選挙でも聞かれて常習化している。ケチの付けようがないと「大義がない」などと言いつのるのだ。大義とは何か。大義とは人間が行うべき大切な道義のことであるが、一昔前までは国家・君主への忠義、親への孝行などを指した。特攻は「国の大義に殉じる」と旅立った。そのイメージの悪い「大義」をこともあろうに野党や左傾マスコミが乱用しているのは噴飯物だ。昔から解散・総選挙は首相にもっとも都合がよい時に行われる。その首相は自民党政権を維持して国民の幸福が続くことを願って解散・総選挙を断行するのであり、これが大義だ。そのために憲法七条は首相に解散権を付与しているのだ。ドラえもんではないが「いつでもどこでも解散」が可能なのである。ほとんどの衆院の解散は解散権者首相のもっとも都合のよいタイミングで行われ、「大義は後から貨車で来る」形であった。これが政治なのだ。政治の常識は「油断大敵」なのだ。
 そもそも戦後23回の解散で大義と称するものがあったか。全てが多かれ少なかれ党利党略解散だ。中でも特筆すべき「大儀なし解散」は9回に達する。第2次吉田内閣の「馴れ合い解散」、第3次吉田内閣の「抜き打ち解散」、第4次吉田内閣「バカヤロー解散」 、第1次鳩山内閣「天の声解散」、 第1次佐藤内閣「黒い霧解散」 、第2次大平内閣 「ハプニング解散」、第2次中曽根内閣「死んだふり解散」、第1次森内閣「神の国解散」、 野田内閣「近いうち解散」 。首相が「バカヤロー」と発言して解散してもいいし、「天の声を聞いた」と言って解散してもいいのだ。他の解散も似たり寄ったりで大義などはない。
 それほど首相の解散権は強力なのである。その根拠は憲法7条にある。かつて佐藤栄作は「内閣改造をするほど総理の権力は下がり、解散をするほど上がる」と述べていた。小泉純一郎も「首相の権力の最大の源泉は解散権と人事権」と語っている。解散権は内閣総理大臣の強大なる権力の源泉とも言える。衆議院解散は首相の裁量に属する。最高裁も判決で「衆議院の解散は、極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であつて、かくのごとき行為について、その法律上の有効無効を審査することは司法裁判所の権限の外にある」と三権分立における首相の解散権の特殊性を認めている。首相は閣議を開き、「今般、衆議院を解散することに決したので、国務大臣の諸君の賛成を賜りたい」と全閣僚に対して衆議院解散を諮り、内閣の総意を得た上で、衆議院解散を行うための閣議書にすべての国務大臣の署名を集める。反対する閣僚がいれば罷免して実行する。罷免の例は小泉純一郎が2005年の『郵政解散』の際に、署名を拒否した農水相島村宣伸を罷免したのが唯一の例だ。
 いわば特権である首相の解散権にたてついても、もともと始まらないのだ。小池百合子が「衆院を解散する大義が分からない。国民に何を問いかけていくのか分かりにくいし、多くの皆さんがそう思われるのではないか」と文句を付けているが相変わらずのポピュリズム発言だ。政治の勉強が足りないから分からないのだ。るる述べたように大義は後から貨車で来るのだ。あえて大義を言えば「アベノミクスの総仕上げ」「北朝鮮への圧力強化」「自衛隊の9条明記を軸とした憲法改正」が3大テーマだ。あと「全世代型社会保障制度」も論点となろう。
 一方民進党代表の前原誠司は「北朝鮮が核実験やミサイル発射を行う状況の中で、本気で政治空白を作るつもりなのかと極めて驚きを禁じえない。森友問題や加計問題の国会での追及から逃げるため、国民の生命・財産そっちのけで、まさに『自己保身解散』に走っているとしか言えない」と批判した。しかし「政治空白」というが衆院任期切れまで1年余りだ。どっちみちそれまでには解散・総選挙を断行せざるを得ない。衆院議員は任期が2年を過ぎたら首筋が寒くなるのが常識だ。それとも国家予算を審議する通常国会中に政治空白を作ってもいいのかといいたい。北の“脅威”は今に始まったことではない。民進党は北が選挙中にミサイルを飛ばせば自民党が極めて有利になるから反対なのではないのか。だいいち衆院議員がいないから政治空白が出来るという論議は憲法を知らない。2院政はそのためにあるのだ。政治空白は出来ない。出来たら日本はとっくに沈没していた。
 自民党内では驚いたことに政調会長代理山本一太が「10月選挙は望ましくないシナリオだ。今からでも方針を変えられるなら、ぜひ変えていただきたいと思う」「“選挙に勝つためには何でもやるのか”という批判も起こるだろう。総理ご自身大義名分を理解してもらう最大限の努力が不可欠だ」と批判に出た。参院議員に衆院解散の発言権はないなどとは言わないが、身分が保障されて解散のない参院議員らしい甘っちょろい政局観だ。トークショウ向きだが軽くて説得力がない。安倍内閣中の入閣は断念したと見える。こうして政局は蕩々として自民党有利の解散・総選挙へと流れてゆくのだ。

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