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◎トランプが直面する「決められない政治」


◎トランプが直面する「決められない政治」
   下院舞台に攻防段階へ突入
  唯我独尊政治が極東外交にも影
   中間選挙の結果米国は、民主党が下院を奪還し、多数党が上院は共和党、下院は民主党という「ねじれ議会」となった。この大統領と下院の多数派が異なる政治状態は、戦後の議会ではレーガン政権、ブッシュ政権、オバマ政権で生じている。とりわけオバマ政権の二期目は、「決められない政治」で有名だが、トランプも多かれ少なかれ「決められない」状況に落ち込むだろう。2年後の大統領選は、奇跡の逆転でトランプ再選がないとは言えないが、その可能性は低い。勢いづいた民主党が反トランプの攻勢をかけることは必定であり、大統領弾劾の事態もあり得ないことではない。米国の政治は流動化の傾向を強くする。
  民主党にとっては8年ぶりの下院奪還であり、ねじれを利用してトランプ政権への攻勢を強め、大統領の弾劾訴追も視野に入れるとみられる。そのための圧力は、法案の成立数となって現れるだろう。米議会における法案成立数は毎年通常400~500本で推移しているが、議会がねじれた政権ではその数が著しく減少する。レーガンの成立率は6%、ブッシュ4%、オバマ2%といった具合だ。
 法案は通常、上下両院でそれぞれ同時期に審議され、内容が一本化されて成立の運びとなる。民主党は今後ポイントとなる重要法案の成立を阻むものとみられ、トランプは議会対策で苦境に陥る公算が強い。とりわけ下院が主戦場となる。民主党の狙いは言うまでもなく2年後の大統領選挙でトランプを引きずり下ろすことにある。2年間でトランプをボロボロにして、再起不能にしようというのだ。
 民主党はトランプの弱点を突く戦術を展開するものとみられる。弱点は山ほどある。外交では北朝鮮の金正恩やロシアのプーチンとの親密ぶりばかりを露骨に誇示して、同盟国である日本やカナダをないがしろにして、高関税をちらつかせる。内政では元女優との不倫に口止め料を支払ったのが露呈したかとおもうと、女性やマイノリティに対する侮辱的な発言。議会が指摘する「嘘つき政治」は日常茶飯事である。よくこれで大統領職が務まると思えるほどの問題ばかりが山積している。他国に対する制裁関税も、製造業が大不況で息も絶え絶えのラストベルト地帯にこびを売るものにほかならない。トランプは国全体を見る視野より、自分への支持層だけを大切にしているかに見える。「我々はグローバリズムを拒絶し、愛国主義に基づき行動する」という発言は、国際協調路線とは決別しているかに見える。現実に環太平洋経済連携協定(TPP)や、地球温暖化対策の「パリ協定」からの離脱表明は、釈迦も驚く唯我独尊ぶりだ。
 この結果米国民に分断傾向が生じている。国内に医療制度や移民問題をめぐって対立が生じているのだ。もともと共和党支持層は地方の有権者や白人が多く、民主党は若者や、有色人種、女性が支持する傾向が強い。本来なら複雑な社会形態を統合するのが米大統領の重要な役割だが、トランプは分断が自らを利すると考えているかに見える。よくこれで大統領が務まると思えるが、米国政治の懐は深く、弾劾などはよほどのことがない限り実現しそうもないのが実態だ。米国では大統領と議会の多数派が異なることを分割政府(divided government)と言う。米国の政治制度の特質は、大統領と議会の多数派が異なる分割政府の常態化を前提として政治運営や立法活動が複雑な駆け引きの下に行われる。大統領が利害調整を行はざるを得ない場面が過去の政権でも見られた。その傾向が常態化するのであろう。さすがに心配なのかトランプはさっそく「ねじれ」状態を踏まえ、「いまこそお互いが一緒にやるときだ」と述べ、民主党に連携を呼びかけたが、ことは容易には進むまい。。
 トランプの政治姿勢が続く限り、西欧や日本などの同盟国の国民は心理的な離反傾向を強めかねない。そうすれば喜ぶのはプーチンや習近平だけであろう。トランプの対中対立路線が原因となる米中離反は、中国による対日接近姿勢を強めており、国家主席習近平の来年の訪日など今後交流が強まる傾向にある。トランプの唯我独尊政治は、単に米国内にとどまらず、極東外交にも大きな影を落としているのだ。しかし大統領が誰であれ、日米関係は重要であり、同盟関係を堅持し、通商関係の維持向上を図るべきであることは言うまでもない。
 ◎俳談
【推敲(すいこう)】
 俳句は世界一短い詩である。従って言葉をどう選ぶかが生命線である。
詩文の字句や文章を十分に吟味して練りなおすことを推敲という。由来は、唐の詩人賈島(かとう)が、「僧は推(お)す月下の門」という自作の詩句について、「推す」を「敲(たた)く」とすべきかどうか思い迷ったすえ、唐中期を代表する文人・韓愈(かんゆ)に相談した。その結果、「敲」の字に改めたという故事からきている。たった一字で、生まれ変わったような詩になることが、その重要性を語っている。
 芭蕉もその一字に全生命をかけたといえる。
例えば
五月雨を集めて速し最上川
は、「集めて涼し」が原型であった。それを「速し」としたのはなぜか。一句の中で客観と主観が激突したのである。「涼し」ならば平凡なる客観的情景描写の短詩に過ぎないが、「速し」としたことで、主観が圧勝する。圧勝してなり立つのが蕉風俳句なのである。
荒海や佐渡に横たふ天の河
も「横たふ」が主観。
閑さや岩にしみ入る蝉の声
の「しみ入る」も徹底した主観だ。芭蕉が打ち立てた俳句の偉大性は、見たままでは俳句にならないと実践で教えているところにある。心を拒絶して物をアピールしても俳句にはならない。初心者ほど推敲を心がけ、「心」を一句に注入しなければならない。

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