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◎野党の「加計疑獄」狙いは不発に終わる

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◎野党の「加計疑獄」狙いは不発に終わる
 安倍は7対3で3選の方向
「またも負けたか八聯隊(はちれんたい)、それでは勲章九連隊」は、昔大阪出身の陸軍連隊が虚弱であったことを茶化しているが、これは今の野党にもそっくり当てはまる、総力を挙げた加計問題が愛媛県による内部文書の信憑性が問われる事態になってきたからだ。核心部分である15年2月の安倍の加計との面会が完全否定され、文書ねつ造が問われるフォントの混入までが明るみに出ており、野党の追及は限界が見えた。自民党内の空気も「政局化不可能」(党幹部)との見方が支配的となってきており、9月の総裁選で安倍が3選される流れは7対3で強まった。
 朝日だけを購読している人は今にも「政局」かと思うだろうが、ミスリードされてはならない。読売か産経を併読した方がいい。23日もトップで「加計の面会否定の根拠示せず」と大見出しを踊らせているが、野党をけしかけているかのようで、平衡の感覚に欠ける。朝日は、加計問題を1年半も取り上げ続けて、けたたましく騒いでいるが、夢と描く昔の造船疑獄や昭電事件の再来などはあり得ない。なぜなら安倍や自民党幹部をめぐって贈収賄事件に発展する可能性はゼロだからだ。発展するならきな臭さが漂うものだが、まったくない。
 そもそも愛媛県の内部文書はテニオハもままならないレベルの県庁職員が書いたもののようで信憑性のレベルが低い。その核心部分には「2/25に加計理事長が首相と面談(15分程度)。理事長から、獣医師養成系大学空白地帯の四国の今治市に設定予定の獣医学部では国際水準の獣医学教育を目指すことなどを説明。首相からは『そういう新しい獣医学部の考えはいいね。』とのコメントあり。また柳瀬首相秘書官から、改めて資料を提出するよう指示があったので、早急に資料を調整し、提出する予定。」とある。
 文書は基本的に、明朝体と思われるフォントで構成されている。ところが、「首相からは『そういう新しい獣医学部の考えはいいね。』とのコメント」の部分と「柳瀬首相秘書官から、改めて資料を提出するよう指示」の核心部分だけがゴチックになっている。なぜ肝心の部分だけがゴチック体なのかは、おそらく後から挿入された可能性が強い。この継ぎはぎの字体を見ても慌てて中途半端な改竄が行われたのではないかと疑いたくなる。強調したいのならアンダーラインを引くとか、太文字にするとかが考えられるがそうではない。マスコミは、信憑性のない文書でカラ騒ぎのしすぎだ。
 安倍と加計との会談について、安倍は「指摘の日に加計氏と会ったことはない。加計氏から(学部新設の)話をされたこともないし、私から話をしたこともない」と全面否定。2015年2月25日の官邸の記録でも「加計氏が官邸を訪問した記録は確認できない」と“動かぬ証拠”で反論している。
 これに対して立憲民主党の福山幹事長は記者会見で、「首相が国会で虚偽答弁を繰り返してきた疑いがより強まった。首相の進退が問われる重大な局面を迎えた」と述べ、無理矢理政局化を目指している様子がありありだが、ネズミが猫を狙うようで痛ましい。また自民党では村上誠一郎が1人「今までの行動パターンをみたら、総理が本当のことを言ってると思えない。愛媛県の職員がなぜウソをついてまで書く必要があるのか。ウソは書いてない。柳瀬(元首相秘書官)より信用がおける。ということは、総理の信用は愛媛県の職員より落ちちゃったってことだ。」と太鼓腹を揺すって毒舌を吐いているが、党内議員で同調するものはほとんどいない。
 自民党の安倍支持勢力は依然として安定している。これまでのところ国会議員405人のうち安倍支持御三家の細田派94人、麻生派59人、二階派44人は動かない。細田派は22日の総会で満場一致で早々と連続3選を決めている。トップを切ったのであり、今後各派が態度決定を迫られる。加えて官房長官菅義偉の影響が強い74人の無派閥も、大勢は様子見ながら安倍へと流れる傾向を示している。会期末の6月20日まで1か月を切っており、夏休み入リすれば事態は消え去る。安倍は地方行脚で党員との親密度を高め、緊迫感漂う極東情勢でも活発な外交を展開する。そして、9月に3選を達成して5年間好調であった景気の維持に全力を傾注しつつ、2020年オリンピックを迎えるのが王道だろう。
◎俳談 
【俳句と諧謔味(かいぎゃくみ)】
 簡単に言えば重いテーマを軽く語るというのが芭蕉の言う「軽(かろ)み」であろう。例えば
秋深き隣は何をする人ぞ
秋が深まり、山野が寂しい風情になってくると、隣の物音も気になる。今何しているのだろうかと人恋しい気持ちにもなる。筆者は芭蕉が隣人の職業を気にしているというよりも、親しい隣人が何をしているのだろうかと気遣っているように句意を読み取りたい。平明な用語で全く気取っていない。「俳諧は3尺(さんせき)の童にさせよ」と芭蕉は述べているが、まさにその言葉を地で行っている。この「軽み」をさらに推し進めると「諧謔味」になることが多い。一茶は
春雨や食はれ残りの鴨(かも)が鳴く
と詠んだ。今は鴨が池にあふれているが、昔は見つければ捕って食べていたと考えられる。運良く食べられなかった鴨が春雨の中で鳴いている風景を詠んだが、みそは「食われ残り」。なかなか言える言葉ではない。
筆者もユーモアのある句は好きだ。
玄関開けて「受かったよ」と大声を上げた子供がずっこけた。
合格子(ごうかくし)上がり框(かまち)でずつこける 杉の子
雑草の中で高さ20~30センチくらいのスカンポがニョキニョキと立ち上がっているのが面白いと感じて
すかんぽのぽつぽつぽつの余生かな   杉の子
 

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