SSブログ

◎俳談

◎俳談
【一字が一句の生死を決める】
東京の娘の部屋や紙の雛 朝日俳壇3席
 切れ字は俳句の命である。切れ字があるから五七五で宇宙を表現することもできるのだ。切れ字とは、読んで字の如くそこで一句が大きく切れる表現だ。代表的な切れ字が「や」「かな」「けり」である。先に挙げた中村汀女の<さみだれや船が遅る々電話など>を再び例に挙げる。切れ字が入ると<さみだれや/船が遅る々電話など>と切れる。読者は「さみだれ」で情景を脳裏に描き、それに続く下の句で平和な家庭の情景を思い浮かべる。切れ字「や」の持たらす余韻は限りなく大きい。掲句は一人暮らしの娘の部屋を詠んだが、この場合の「や」は心配している父親の有様すら想像させる。
王手打ち指迷わずに西瓜へと 杉の子
 掲句は「王手打ち」で軽く切れる。この場合の「ち」は切れ字の効果と同時に英語の「and」の意味を伴って、一句を滑らかにする。余韻をもたらすのである。最初、筆者は「王手打つ」とすべきか迷ったが「ち」とした。なぜか。「ち」を「つ」に変えると切れがなくなりすべてが「指」にかかってしまって、一句の雰囲気がぶちこわしになるのだ。一語が陳腐なものになってしまう。「つ」と「ち」の違いは、俳句の生死を決める決定的な意味を持つ。「句観」の違いどころか、熟達か稚拙かの差がある。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。