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◎俳談

◎俳談
 俳人中村草田男が
降る雪や明治は遠くなりにけり
と詠んだのは、明治が終わって21年を経た後である。早くも平成は29年、昭和も遠くなったものである。私は懐かしさもあって昭和をよく詠む。最初に入選したのが朝日俳壇で
恐ろしき昭和を見たり昼寝醒(ざめ)  朝日俳壇1席
であった。昼寝で昭和の夢を見たことにして「恐ろしき昭和」と形容したのが当たった。戦争と混乱に明け暮れした昭和であった。戦後は一時期までわらじを履いていた。通学にもわらじの子がほとんどであった。
わら草履はける昭和よ冬の星 東京俳壇月間賞
 竹の子生活と言って竹の子をはぐように、母親の着物が次々に売られた。親たちは深夜まで働いた。
丸眼鏡かけて昭和の夜なべかな 毎日俳壇1席
 上野の地下道では親を亡くした浮浪児が靴磨きをして頑張っていた。
鰯雲昭和の少年靴磨く 東京俳壇入選
 昭和の女は母親を見ても健気で一生懸命であった。
鳳仙花昭和の女健気なる 産経俳壇入選
 そして
丈夫なり妻と昭和の扇風機  毎日俳壇年間大賞
として今日に至る。実に丈夫なのである。

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