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◎俳談

◎俳談
【感性と俳句】
 俳句とは世界一短い詩である。詩であるから詠む人は感性が欠かせない。しかし感性のない人間は存在しないと思う。嬉しければ笑い、哀しければ泣く。これが感性の原点だ。だから誰にでもある。しかしその感性を俳句モードにできるかどうかは別物だ。俳句に使えなければ俳句用の感性ではないからだ。
春の水雑巾ゆったり沈みけり  東京俳壇2席
この句は雑巾がバケツに沈む様子を詠んだ。春の水だから雑巾がゆったり沈むと断定したのだ。論理的に解釈すれば春の水だろうが夏の水だろうが雑巾の沈む速度は全く同じだ。そこを春の水だからゆったり沈むと臆面もなく言い切るのが俳句の感性だ。この場合「そんな馬鹿な」は通じない。
芭蕉の
閑さや岩にしみ入る蝉の声(しずけさや いわにしみいる せみのこえ)
を「岩に声がしみるか」と言う人はいまい。これが俳句の高みであり、感性なのである。

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