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◎俳談

◎俳談 
【鳥帰る】
 5日、森へ行ったら、鴨が群れをなして桜並木の上を旋回していた。(写真)。いよいよ春の季語「鳥が帰る」ときが来たのだ。昨年十月に池に来てから半年を日本で過ごして、マガモはアムール川などシベリア中央部、オナガガモはシベリア北東部に帰る。翌日行ったら一羽もいなかった。日本で栄養を蓄えて、脂肪肝になって、その脂肪を使いながらの必死の旅だ。繁殖行為を見かけたから、メスは卵を抱いての旅だ。繁殖地のシベリアで雛をかえしてまた日本に渡るのだ。作句には秋の季語「渡り鳥」「鳥渡る」と混同しやすいから注意が必要だ。
 鳥が帰るのは何となく寂しさを感ずる。池のまわりを旋回するのは名残を惜しむように見えるが、この主観を入れたら一句は陳腐なものになる。例えば「鳥帰る名残を惜しむごとくかな」などとはやってはいけない。
◆鳥帰る指をさしたる指哀し 杉の子
ぐらいがちょうどいい。安住敦に
◆鳥帰るいづこの空もさびしからむに
がある。この句は鈴木六林男の
◆天上も淋しからむに燕子花(かきつばた)
と極めて類想性が強いが、どちらの句が先かは分からない。しかしいずれも名句であり、詮索する必要もあるまい。
 同じ春の季語でも「鳥雲に」の方が使いやすい。
◆そのうちに何とかなるさ鳥雲に 杉の子
人生楽観主義が大切。
 渡り鳥絡みの句で一番寂しいのは岡本眸の
◆残りしか残されゐしか春の鴨
だろう。季語の「春の鴨」は春深くなってもまだ帰らずにいる鴨をいう。
人間世界にも通ずる名句である。
【筆者より】俳談を休載しようと思いましたが、要望が強く連載することに決めました。新旧取り混ぜて送ります。

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