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俳談

◎俳談                 
【本家取り(ほんかどり)】
ソファーに父の窪みや秋の風 東京俳壇入選
 秋の風ほどしみじみとした季節感の伴うものは無い。とりわけ人生の無常、はかなさを感じさせる。年をとればとるほど永遠不滅なものは無いという感情に陥る。従って人恋しくなるのも秋の風だ。
有名なる古歌が額田王の
君待つと我が恋ひ居れば 我が宿の簾動かし秋の風吹く
である。俳句は芭蕉の奥の細道にある
あかあかと日はつれなくも秋の風
 赤々と照りつける残暑の太陽はまだ暑いが、風は秋の近さを予感させるものがあると詠んだのだ。ちょうど今頃の季節感であろう。この俳句は藤原敏行(ふじわらのとしゆき)の<秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる>を踏まえた句である。こうした短歌の着想や表現を取り入れる手法は「本歌取り」として許容される。しかし他人の句の真似をする「本句取り」は、絶対に認められない。
 やはり奥の細道の<夏草や兵どもが夢の後>も漢詩の本歌取りである。杜甫の「春望」にある「国破れて山河在り、城は春にして草木深し」から発想を得たものである。奥の細道冒頭の「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり」は、李白の「天地万物逆旅光陰百代過客」をそのまま本歌取りしたものだ。逆旅は旅籠の意味で、「天地は万物の旅籠、日月は永遠の旅人、ひとたび去って帰らない」と歌ったものだ。こうみると芭蕉の俳句は本歌取りだらけであるが、本歌を凌ぐ秀句・名文であるから全く問題はない。俳聖芭蕉のなせる業はすべて正しいのだ。筆者の本歌取り句は
台風過(か)国の破れしごとくなり 東京俳壇1席
杜甫からいただいた。

台風過新.jpg


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